« 無責任な経済成長頼みの財政運営では借金漬けが続くだけだ。2020年度まで5年間の予定で進めている財政健全化計画基礎的財政収支は18年度の赤字が目標より10兆円以上も多くなるそれだけ借金まみれということ | Main | 政治的公平などを定めた四条を撤廃するという政府が考える放送法改正論の本質は、テレビへの政治介入。政権に親和的な番組が増えるという狙いが透けて見える気がする。 »

福島原発事故から7年、復興政策に「異様な変化」が起きている。この国はもう復興を諦めた? 政府文書から見えてくる「福島の未来」復興の成果を自画自賛しているが:世相を斬る あいば達也

原発再稼働の陰で 復興は切り捨てに舵切った日本政府

世相を斬る あいば達也 2018/4/2

福島復興に関する影の部分に焦点が当てられてはいるが、安倍政権の原発復興を政権浮揚のツールにしているような現状がある以上、森友や加計問題で見る醜悪さを思えば、このレポート以上に冷酷な仕打ちが、福島原発による被災者に、重くのしかかっているものと考えられる。


≪福島原発事故から7年、復興政策に「異様な変化」が起きている。この国はもう復興を諦めた? 政府文書から見えてくる「福島の未来」
復興の成果を自画自賛しているが…

あの大震災から7年、復興は進んでいるのだろうか。政府はその成果を自画自賛しているが、現実は大きく異なっている。首都大学東京准教授の山下祐介氏が、政府文書を読み、復興政策の矛盾を問う。

■多くの人が帰還する――政府の根拠は?
:いくつかの政府文書を見てもわかるように、政府が福島の復興として被災地に打ち込もうとしている政策・事業は、被害者の救済からどこかで転換し、被災地への巨大な事業投資そのものを目的とするものへと大きく変わってしまっている。
:かつその事業もとくに成算があるわけではないのに、いくつかの事業に決めうちして(最終的にはイノベーション・コーストと再生可能エネルギーに集約か)、それ以外の事業を細やかに多様に進めていくということにはあまり関心はないようだ。
:そして被災者の位置づけも変わってきた。原発事故被災者は大量のふつうの人々である。政府が対象とする被災者も、これまでは今回の事故で避難しているすべての人々だったはずだ。
:ところが、あるところから政府にとっての被災者は、あくまで弱者だということになってきている。
:平成27年1月の「被災者支援(健康・生活支援)総合対策(被災者支援50の対策)」を見ると、被災者はあくまで要支援者であり、政策で設定した支援の対象である限り被災者なのであって、そうした対象を外れれば、どんなに困っていてももはや被災者としては位置づけられない、そんな論理に転換しつつあるようだ。
:まして被災者が復興の中身を決める主体になるなどということは許されない。
:おそらくそういうことなのだろう。そして逆に、政府が進める復興事業に参加を表明すれば、被災者でなくてもその事業の恩恵が受けられるようになっている。
:要するに被災者であるかどうか、復興事業の受益者になれるかどうかを決めるのは政府の方だという状況に展開しつつあるようだ。
:だが、では例えばイノベーション・コースト事業を実施すれば、本当にこの地を復興させるのに必要な人材がこの地に集まるのだろうか。それはどの程度の確実性を持っているのか。
:いま避難元に帰っているという人も、多くは「通う」人たちだ。二重生活は今後も続く。それはイノベーション・コーストで働くことになる新住民にしても同じことだ。
:とくに技術者・専門家は、毎日現場にいなくてもよいのだから、この場所には遠くから通うことになる。
:「イノベ」では人口は回復しない。そもそもここで短期に着実な人口回復を計画すること自体が無茶な話なのだ。
:廃炉は当分できない。無理なのかもしれない。現時点での帰還は被ばくを意味する。たとえ低線量でもそこには健康を損なうリスクがある。
:そして万一発病しても被害として認められるかどうかはわからない。被害は自分で証明しなくてはならない。
:そんな場所に、多くの人が帰還すると言い切る政府の考えは、一体何を根拠にしたものなのか。

■目につく復興事業の成果の自画自賛
:私はこれまでいくつかの文章でこうした早期帰還を強要する状況を、「失敗不可避の政策」をゴリ押しする非常に危ういものと警告してきた。
:そして現実に、1年前の平成29年4月に避難指示を大幅解除したにもかかわらず、人々がほとんど戻っていないことは、誰の目にも明らかな真実となっている。
:問題は、そうした無理な政策が失敗する可能性が目に見えている中で、それをあらためて修正するどころか、なぜか逆に――むしろだからこそ?――これまでの政策の成功をたたえて、その成就を奉祝するかのような文言が目立ちはじめてきたことだ。
:平成28年からの「復興・創生期間」の方向を示す「「復興・創生期間」における東日本大震災からの復興の基本方針」(平成28年3月11日)こそが、まさにそうした姿勢で書かれたものである。

:この基本方針の冒頭にある文章を見るだけでも、このことはよくわかるだろう。 (1)復興の現状 政府は、発災直後の平成 23 年7月に策定した「東日本大震災からの復興の基本方針」において、復興期間を平成32 年度までの 10 年間と定め、復興需要が高まる平成 27年度までの5年間を「集中復興期間」と位置付けた上で、未曽有の大災害により被災した地域の復旧・復興に向けて、総力を挙げて取り組んできた。 地震・津波被災地域においては、これまで5度にわたって講じてきた加速化措置等の成果もあり、平成 28 年度にかけ、多くの恒久住宅が完成の時期を迎える。さらに、産業・生業の再生も着実に進展しており、10 年間の復興期間の「総仕上げ」に向け、復興は新たなステージを迎えつつある。 福島の原子力災害被災地域においては、除染等の取組によって、空間線量率は、原発事故発生時と比べ大幅に減少している。また、田村市、川内村、楢葉町で避難指示の解除等が実施されるなど、復興は着実に進展しつつある。(「復興・創生期間」の方向を示す「「復興・創生期間」における東日本大震災からの復興の基本方針」、1頁。下線は筆者)

:"政府のおかげで被災地は復興している。避難指示を解除できたので復興は着実に進展している。残りの5年は復興の「総仕上げだ」"――はたしてこの自画自賛は真実なのか。
:私はここに、現実を見ず、失敗を認めず、都合のよいものばかりに目を向けて、「成果はあがっている」とうそぶき、さらなる失敗への道を歩んでいった先の大戦中の日本の状況に似たものを見て取る。
:東日本大震災の被災者であり、復興の前線で関わっている知り合いが、しばらく前にこう漏らした。
:「復興集中期間が終わったので、やっと復興できるなあって。……でも『創生』とか言って、まだ続くんですよ。一体いつになったら復興できるのか」
:こうした被災者たちの声を尻目に、これまでの復興事業についての自画自賛は、この文書では頻繁に現れる。現政権の成果を過剰に強調し、「どうだ、これだけやったんだぞ」として現場に押しつけようと、まるで畏怖しているかのような文章だ。
:いや、おそらく書いたのは官僚の方だろうから、政権が喜ぶよう、国民がこの政権の施策を好意を持って受け取るよう、ともかく印象づけたいと苦心して書いたものなのだろう。
:そして、こうした権力へのおもねりや、へつらいのようなものが、随所で感じられるようになったのも、第3次安倍政権の前後からということができる。:そして今回私が一番、違和感を持ったのは次の資料だった。 :資料 「復興の加速化に向けて」復興推進委員会(第19回)平成27年11月11日(会議資料1)

:これは、いま引用した「『復興・創生期間』における東日本大震災からの復興の基本方針」を策定するにあたって、その原案を復興推進委員会に示し、諮ったときの資料である。その1ヵ月前に行われた復興推進会議の内容を説明する部分が、私には何か腑に落ちない。
:前述の通り、閣僚で構成する「復興推進会議」に対して、「復興推進委員会」は関係自治体の長と民間有識者によって構成される会議だ。
:総理がお願いして招集し、諮問する委員会である。その会議に対し、「総理御発言」という文言は奇妙ではないか。
:内閣総理大臣はあくまで行政の長であり、かつそれは国会議員でもある与党第一党の党首が収まるポストである。
:要職であり激務であろうから、私も尊敬し、その仕事に感謝するが、国民との間に上下の関係はない。これはいったいどういうことなのか。
:そして実は、この間の議事録などを丹念に見ていると、どうもある時期から、「総理の御指示」とか「大臣の御発言」とか、そういった妙な言葉遣いが(むろん文脈によっては、別に問題のないケースもあるのだが)繁く現れるようになっていった気がする。それもまた第3次安倍政権以降のようなのだ。

■イノベ、再生可能エネ、オリンピック……
:指摘したいことはまだまだあるが、そろそろまとめに入ろう。
:平成24年12月に第二次安倍政権が民主党政権から引き継いだ復興政策。すでにこの時点でこの復興政策には様々な矛盾が内包されていた。
:そしてそうした矛盾した政策の現場にいた人々は、民主党から自民党に政権が移ったことで、「これで安定した回路に戻れる」と大いに期待したようにみえる。
:そもそもそうした期待が広く国民にもあって、このときの自民の勝利につながったとさえ分析できそうだ。
:だがその路線は大きくは変わらなかった。それどころか、さらにその矛盾を拡大させ、あらぬ方向へと展開していったと、私には見える。
:いやそれでも第2次安倍政権の段階までは、それほど大きな変化はなかったのだ。
:第3次安倍政権へと引き継がれていく中で、何か目に見えない変化が水面下で生じ、どこかの時点でハッキリと「急げ」「終わらせよ」「成果を上げよ」と、そういうスイッチが入ったようだ。
:だがすでにこじれてしまった復興政策は、どんなに進めても、ボタンを掛け違えたまま、まともなものには戻らない。
:本来はそれを頭から見直すべきだった。
:だがこの矛盾した政策をゴリ押ししているうちに、おそらく何かの閾を越えて、丁寧な復興から一点突破的な強引なものに変わり、しかも「やってきた政策は無駄ではない」「復興は進んでいる」とその成果を誇張するようになっていった。
:政策や事業の結果を反省し調整するどころか、現状を批判することすらできなくなってしまったようだ。
:一体どこでこんなスイッチが入ってしまったのか。
:そのきっかけの一つとして思い当たるのが、平成25年9月に決まった東京オリンピックの2020年招致である。
:その後、「東京オリンピック2020」の文字がやたらと躍るようになってきたあたりから、復興政策の内容がおかしなものへと変化したような気がする。
:先に引用した福島イノベーション・コースト構想研究会が提出した報告書「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想研究会 報告書」(平成26年12月)が、私にはその始まりだったように見える。
:本来イノベとは何の関係もないはずなのに、ここでやたらとオリンピックが強調されている。
:そして、福島12市町村の将来像に関する有識者検討会でも繰り返しオリンピックと福島復興との関係が強調され、この会議がとりまとめた提言(平成27年7月)では、避難指示解除が進むことでみなが避難元に帰ることができることになり、「家族そろって 2020 年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を応援することが可能となる」(17頁)のだと強調している。この文章はどういう意図があってここに入り込んだのだろうか。
:福島イノベーション・コースト、再生可能エネルギー、東京オリンピック――これらがいったいどれだけ被災者の役に立つというのか。
:いやこれらが被災地・被災者自身が望んだものであり、人々が苦心して主体的に取り組んでやり遂げるようなものなら何も異論はないのだ。
:だがすべては国主導、中央主導で進み、復興のための事業に多くの税金が投入されるが、その成果は被災者ではない誰かに持っていかれて、被災地には不良債権化する巨大な施設だけが残る――私にはどうもそんな未来しか見えないのだ。
:そしてすでに触れたように、被災者の支援も徐々に世の中から落ちこぼれた敗者への支援にかわってきている。
:この状態を作り出したのは原発事故であったにもかかわらず、被災者政策は「かわいそうな被災者のために国が支援してあげましょう」というものに変化しつつある。
:しかも政府の文書によれば、「住民の方々が復興の進展を実感できるようにするために」(原子力災害からの福島復興の加速のための基本方針、5頁)、さらなる対策を充実させて、「心の復興」(「復興・創生期間」における東日本大震災からの復興の基本方針、3頁など)をはたしてもらうのだという。
:原発事故によってふつうに暮らしていた人を復興弱者へと落とし込んだ上で(津波被災地に関していえば、政策さえもう少ししっかりしていれば、それなりの復興をむかえられたかもしれない人を復興弱者へと落とし込んだ上で)、「復興は進んでいるのだから、それを「心の復興」で実感せよ」と、そういう話になっている。
:しかしながらまた他方で、「福島第一原発の廃止措置に向けては、安全確保を大前提に、長期的にそれぞれのリスクが確実に下がるよう、優先順位を下げていく」(「原子力災害からの福島復興の加速のための基本方針」、20頁)のだといい、廃炉にともなう様々なリスクがあの場所には長期にわたって存在することを認めている。
:放射性廃棄物の処分に関しても「中間貯蔵施設」を現地につくりながら、その最終的な行き先が決まっていないことを認めており(同5頁)、現実には容易に帰ることのでない場所であることを十分にわかった上でこれらの文書は作成されているのだ。
:しかもこうして一方的な内容を被災者に(つまりは国民にも)突きつけながら、「双方向のコミュニケーションを強化し、信頼関係の強化につなげる」とまで言い切るふてぶてしさ(「原子力災害からの福島復興の加速のための基本方針について」平成28年12月、22頁)。
:平成25年度までの文書にはこんな内容はなかった。

■国の責任が風化している?
:おそらくこの間に欠けてしまったのは、この事故に関する国の責任なのだろう。
:振りかえればちょうど1年前の平成29年3月、私はあるテレビ番組で今村雅弘復興大臣(当時)にお会いし、こんなふうに現状を説明されたのを思い出す。「時間がない。恐いのは風化だ。」(拙稿「復興相辞任のウラにある「本当の問題」」を参照)
:いま、この言葉の重大な意味がわかってきた気がする。このとき私は、風化は国民世論の関心のことだと思っていた。
:だがどうもそうではないのだ。原発事故・東日本大震災についての関心の風化は、もしかすると政治の中に起きているのだ。そういうことなのではないか。
:たしかにもはやこの震災からの復興は、政治マターとしてうまみのないものになっている。それは紛れもない現実だろう。
:「そうではない」という答えを期待しながら、あえてこう問おう。
:政府はもう、原発事故を起こした国の責任というものを感じなくなっているのではないか。いやそれだけではない。もしかすると、もう一度同じような事故を起こす可能性についても。
:原発事故を起こしてはいけない。人々を被ばくさせてはいけない。危険にさらしてはいけない。そういう当たり前の感覚が、政治の中で風化し、失われつつあるのではないか。
:むしろ「なんだ、原発事故といってもこの程度ではないか」「被害といったってこれくらいじゃないか」「原発のリスクなどたいしたものではない」――そんな奢った感覚が、この国の中に頭をもたげはじめているような気がしてならない。
:いや、原発事故に限ったことではない。
:貧しさで苦しむ人を作ってはいけない。不当な差別が生まれる環境を作ってはいけない。人々の税金を大切に生かし、適切な政策を立案していかなければならない。この国の安定と持続を、確実にしっかりとはかっていかねばならない。
:――そういう政治を担うにあたっての当たり前の責任感覚が、だんだんと現場の中から失われはじめているのではないか。
:そうした政治の変質が、矛盾だらけのおかしな復興政策を生んでいる根本にある気がしてならない。
:なお私はここでいう「国の責任の風化」を、誰か特定の政治家や、特定の政党に結びつけて考えているのではない。いずれ詳しく論を展開したいと思うが、このことだけは最後に簡単に述べておきたい。
:こうした「国の責任」の変化は、もとをたどればどうも「二大政党制」と「政治主導」ではじまったものだ。
:2000年代前後にこの国が制度設計しようとした「政治主導」には、何か根本的な欠陥があったようなのだ。
:そしてそれが民主党政権、自民党政権へと展開し、その間に国政選挙を何度か繰り返していく中で、次第に手もつけられないほどに拡大して、政治総体として「無責任」な状況が生まれつつあるのではないかと考えている。
:さらにその中で、巨大化していく政治権力に取り入ろうとして様々な欲望が侵入しはじめ、堂々とした二枚舌や、本来やるべきことを避けながら、本来やれるはずのないこと、やるべきでないことを政治・政策の中に織り込む動きが止められないものになってしまったのだろう。
:だからなのだろう。原発復興政策がおかしくなったのと軌を一にして、各方面で(各省庁で)も、似たような感じでおかしなことが起きるようになってきた。
:そして平成30年に入ってからも、働き方改革法案でその根拠となる厚労省のデータ改ざんが見つかり、そして森友問題では財務省の公文書書き換え問題までもが噴出している。
:こうしたおかしな政治・行政は、その根底にある構造が変わらない限り、止まることなくつづいていくものと私は見る。
:これはいったいどのようにすれば止めることができるのだろうか。
:むろん私にもその解は見えない。
:が、ともかくも、事象をいくつも観察しながら、その正体を探っていくことが必要なのだろう。それゆえさらに、復興問題を離れて、全く別の角度からもこのことについて考える機会を持ちたいと思っている。
 ≫(現代ビジネス:福島原発復興問題・山下祐介)

|

« 無責任な経済成長頼みの財政運営では借金漬けが続くだけだ。2020年度まで5年間の予定で進めている財政健全化計画基礎的財政収支は18年度の赤字が目標より10兆円以上も多くなるそれだけ借金まみれということ | Main | 政治的公平などを定めた四条を撤廃するという政府が考える放送法改正論の本質は、テレビへの政治介入。政権に親和的な番組が増えるという狙いが透けて見える気がする。 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 無責任な経済成長頼みの財政運営では借金漬けが続くだけだ。2020年度まで5年間の予定で進めている財政健全化計画基礎的財政収支は18年度の赤字が目標より10兆円以上も多くなるそれだけ借金まみれということ | Main | 政治的公平などを定めた四条を撤廃するという政府が考える放送法改正論の本質は、テレビへの政治介入。政権に親和的な番組が増えるという狙いが透けて見える気がする。 »