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安倍の「働き方改革」は「オランダの奇跡」ご都合主義のつまみ食い

安倍の「働き方改革」は「オランダの奇跡」ご都合主義のつまみ食い

世相を斬る あいば達也 2018/2/22



引用が長いので、ひと言コメント。以下の、ダイアモンドONLINEが企画した、長坂氏と武田氏の対談は、じっくり読んでみると、安倍政権が、「オランダの奇跡」と呼ばれる、オランダ人の生き方であるの「ワークライフ・バランス」の都合の良い部分をつまみ食いしていることが、よく判る。そもそも、≪「私・共・公」のヨーロッパと、「公・私」しかない日本≫、つまりパブリックな共同空間のない国に、それがある国の制度を導入する。

しかも、それがつまみ食い的ないい加減さなのだから、どうにも情けない。政府と使用者と労働者が一堂に会しても、徹底的な議論を通じた熟議もされず、ポジショントークと“今だけ良ければ”の精神で、官僚振付けの会合を開いた程度で、熟議が聞いて呆れる。しかし、ものごとのルールを変えていくためには、唾を飛ばしてでも自己主張、或いは、難易な言葉を使う必要のない、市民言語空間的議論が、果たして日本人に可能なのか、ふと考えてしまう対談だった。

★識者に聞く…ソーシャルメディア進化論
≪「パブリック」には適切な定義も和訳もない?日本は「公私二元論」の国

【長坂寿久氏×武田隆氏対談1】
「Public」という言葉を、あなたなら何と訳すだろうか? おそらく「公共」「公(おおやけ)」といった訳を当てるだろうが、それらの日本語が指し示すものと、ヨーロッパ、とりわけオランダで用いられる「Public」が意味するものとの間には、実は大きな違いがある──。そう指摘するのは、JETRO(日本貿易振興機構)在職中に長年にわたりニューヨークやオランダ等の海外駐在を経験し、現在もオランダの成熟した市民社会の研究をライフワークとしている長坂寿久氏だ。

「Public」に対する認識の違いは、時として国際社会から「日本はよくわからない国」と困惑のまなざしを向けられる要因ともなりうる。では、なぜこうした認識の違いが生まれたのか? そのことがもたらす影響とは? 長坂氏に詳しく聞いた。

■アメリカが主導する グローバリゼーションの限界
武田隆(以下、武田) 長坂先生は、JETRO(日本貿易振興機構)にお勤めの時に、ニューヨークに4年半、オランダに4年近く駐在していらしたんですよね。

長坂寿久(以下、長坂) ええ。そしてニューヨークの前はシドニーに4年いました。

武田 各国を見てこられた上で、オランダでの駐在経験を通しての気づきを『オランダモデル』という1冊の本にまとめられた。実は本書は、私に大きな示唆を与えてくれた1冊でした。
 

私どもが1998年ごろにオンラインコミュニティの構想を練った際、当初意識していたのはインターネットを生んだアメリカでした。
 

しかし実際に自分たちの手でコミュニティを育てていくにつれて、コミュニティが有機的に機能するためには、オンライン上であっても実社会と同じように成熟した市民社会であることが大切だと気づいたのです。これがきっかけで、私たちはヨーロッパに注目するようになりました。

長坂 なるほど。

武田 いろいろと調べていくうち、「成熟した市民社会」をとりわけ色濃く体現しているのがアムステルダムだと知りました。あの街の市民社会を成り立たせているものとは何なのか、その要素を探っていた時に行き当たったのが先生の『オランダモデル』でした。先生の解説されるオランダの経済・社会システムが、インターネットが将来突き当たる壁を突破するヒントになる、と思ったのです。

長坂 そうでしたか。お読みいただき、ありがとうございます。オンラインコミュニティの適正な形成と機能のためには、ご指摘のように、「成熟した市民社会」が前提として大切というのは、まったく同感です。

■オランダのコミュニティは アメリカとどう違うのか?
武田 オランダでは、市民によるコミュニティが社会システムにおいて大きな役割を担っていますよね。「コミュニティ」というのは、これからの世界の鍵となるものだと私は考えています。Facebookが2017年6月に発表した新しいミッションにも、“Give people the power to build community and bring the worldcloser together.(人々にコミュニティ構築の力を提供し、世界のつながりを密にする)”と、「コミュニティ」という言葉が使われています。
 

今回は、コミュニティというものについて深く理解するために、長坂先生にいろいろとお話を伺っていきます。まず、アメリカモデルでのグローバリゼーションが限界に来ているのではないか、というところから話を始めたいと思います。これは、『オランダモデル』でも書かれていらっしゃったことですよね。

長坂 はい。日本に限らず戦後の世界には、アメリカの経済・社会システムが波及していきました。アメリカニズムとは、工業化や経済成長を通じた自由と平等の達成です。私たちは、このアメリカニズムが世界に波及した現代の事象を「経済のグローバリゼーション」と呼んでいます。

長坂 でも、果たしてそれは普遍的なモデルなのか。私はオランダに来てみて、アメリカという国がいかに特殊であるかを思い知りました。
 

日本は、ずっとアメリカモデルを参考にしてきましたが、グローバリゼーションの進展のなかでうまく適応できずにいます。私は日本がもうそろそろ、アメリカモデルを参考にするべきという呪縛から逃れてもいいのではないかと思っているんです。

■「オランダモデル」が グローバリゼーションの課題を解決
武田 EUではその姿勢が鮮明になりつつありますね。今年5月には、EU圏でGDPR(GeneralData Protection Regulation:一般データ保護規則。GDPRについては、武邑光裕氏がWIREDに寄せた連載寄稿に詳しい)が施行されます。これはFacebookやGoogleなど、ユーザーの個人データから巨額の利益を上げてきたシリコンバレーのIT企業に対して強烈なNOを突きつけるものです。
 

オランダモデルは、ヨーロッパ的なモデルの極みであると理解しているのですが、アメリカ対ヨーロッパという構造はインターネット界隈でも鮮明になってきていると感じます。
 

オランダモデルは、グローバリゼーションの課題を解決する糸口になる、と考えてもよいのでしょうか。

長坂 なりうると思います。例えば、今シェアリングエコノミーが世界的に広がってきています。しかし、アメリカ的な発想のシェアリングエコノミーと、オランダ的な発想のシェアリングエコノミーは、方向性がまったく違うんです。

武田 どう違うのでしょうか。

長坂 アメリカ的なシェアリングエコノミーというと、基本的にはインターネットというITツールを使っていかに新しい隙間ビジネスを開発するかという発想をします。

長坂 例えば、UberやAirbnbなどのサービスが代表ですよね。Uberは個人の移動手段としての車とITとを結びつけて新しいビジネスを開発しました。もちろん、運転手の余った時間をシェアするという発想です。
 

Airbnbは空き部屋とITとを結びつけて新しいビジネスを開発しました。部屋を貸したい人と借りたい人をマッチングさせて泊まる場所をシェアするという発想です。

武田 しかし一方で、UberやAirbnbは問題も指摘されていますよね。

長坂 そうなんです。Uberは運転手と客のトラブルや、幹部のスキャンダルなど企業としてのモラルの低下が懸念されています。Airbnbも、純粋に余っている部屋を貸すのではなく、ビジネスとして部屋を貸したり、民泊が禁止されているところで運営されていたりと、問題が多発しています。
 

ITを使ってどうやって隙間産業を見つけ出すか、という意味では成長していますが、これがシェアリングエコノミーの正しいあり方なのかは疑問です。もちろんオランダでもこの新ビジネスは大いに流行っていますが、ではオランダの発想はどうなのか。オランダでいうシェアリングエコノミーのイメージは、愛なんですよ。

■「私・共・公」のヨーロッパと、「公・私」しかない日本
武田 愛、と言いますと……?

長坂 お互いのフィーリングを分かち合うのが愛ですよね。お金をシェアするというのは寄付です。自分の時間を困っている人にシェアするのがボランティア活動です。シェアという言葉は、神学的な言葉で非常に深い。シェアリングエコノミーは、シェアを仲介してお金儲けをすることだけが目的ではないんです 長坂 例えば、オランダで考えられているのは、ケアの問題をシェアリングエコノミーでどう解決していくかということ。まずは近隣の人たち同士でネットワークをつくって、体が不調をきたした時にそのネットワークを頼ると、サッと助けにきてもらえる体制を整える。シェアリングによる相互扶助の地域システムの構築です。さらにそれを広げ、医師や看護師が中心となって、専門的な包括地域ケアの仕組みをつくっていく。
 

そういう発想で、先端的な「ビュートゾルフ」という在宅ケアモデルができました。これは、世界中に普及してきています。

武田 ビジネスチャンスを見つけるのではなく、シェアすることで社会課題を解決しようという発想なんですね。シェアリングエコノミーは、もっと公共性が高いものなのだとわかりました。
 

ところで、この「公共」という概念は、パブリックという英単語の訳ですが、パブリックと公共では、少し意味が違いませんか。
長坂 そうなんです。パブリックという言葉には、適切な日本語訳がないんですよね。というよりも日本ではこの言葉がちゃんと定義されていないのです。「公共」という言葉を辞書で調べると、「社会一般」「おおやけ」と2つ出てきます。でもそれが「パブリック」という言葉の本来の意味かというと、そうではない。

■EUは「補完性の原理」という 哲学に基づいている
武田 日本では「公共」というと、「お上」という意味で解釈されることが多いと思います。

長坂 「公(おおやけ)」を調べると、まず「天皇」「政府」という意味が出てきます。最後に「世間」「表立つこと」といった意味ももちろん出てくるのですが、まさに、「お上」ですね。
 

ヨーロッパではそうした考え方はされていません。例えば、EUは「補完性の原理」という哲学に基づいてやっています。EU委員会が決めたことに諾々と従うのではなく、各国のコミュニティでやっていることを中心にして、足りないところがあればEUが決めたことで補完してください、という方針です。これは、公共哲学の考え方です。

武田 「哲学」なんですね。

長坂 哲学というのは何も難しいことではなく、人間とは何か、私とは何者かと問いかけることです。  でも、私は1人で生きているわけではない。周りにたくさんの人がいる。そこで、この人たちは何を考えているんだろうとアプローチして、コミュニケーションして、話し合い、調整し、皆の共通の利益について合意します。
 

その熟議をする場が公共圏で、そこで生まれ合意されるのが、公共益です。この公共益を守り拡大してもらうために、私たちは政府、つまり「公」をつくってきた。だから本当は、「私・共・公」という三元論が主権論の基本になっているのです。これが、公共哲学の発想です。ところが、日本はそうならなかった。


■明治時代に「公共」を 政府が乗っ取ってしまった日本
武田 どうなってしまったのでしょう。

長坂 明治になって近代国家をつくる時に、皆で議論しているようでは西欧諸国に追いつけないからと、公共を政府が乗っ取ってしまったんですね。政府がすべて決めるから、国民は政府の言うことに皆従いなさい、という方針でやってきてしまった。つまり、「公と私」の二元論の国をつくってきたんです。

武田 「公共」がないんですね。

長坂 本来ならば太平洋戦争が終わったあと、公共圏/公共益というものを私たちが自覚して、もう一度「私・共・公」の三元論に変わるはずでした。実際に憲法では、「公共」という言葉が4箇所入っていて、三元論になっています。
 

しかし、私たちは公共という言葉について教えられてこなかったんです。政府は戦後も、公私二元論の国をつくりたかったからです。
 

日本人も、困っている人を助けたい、苦しみを分かち合いたいという気持ちが当然あります。でも、パブリック、そして自己決定権という発想がない状態で国家システムをつくっているので、世界の中でみると、この国はどうも不思議な国で、うまくいかないのです。

■イラクで拉致された若者は、ヨーロッパではバッシングされない
武田 アムステルダムを訪れた時に感じたのは、家が通りに向かって開かれているということです。リビングルームが道路に向けて作られていて、窓は全面ガラス張り。あれは日本人の感覚だと、プライバシーが侵害されているように感じるでしょう。
 

最初は戸惑うのですが、不思議なことに2、3日経つと慣れてくるんです。そうすると、私の生活の一部はこの街、この通りの一角にあるという感覚が生まれてきます。その時に、これが「パブリック」ということなのではないか、と思いました。

長坂 そうですね、一緒にいるということです。家とストリート、街がお互いに借景し合っているわけですよね。つまり生活を社会とシェアリングしている感覚がある。

武田 あの状態が相互の協調関係をつくり、同時に監視の関係もつくっているのかなと思いました。でも、現代の日本では家と通りの境界が曖昧、ということはないですよね。家は私、通りは公とはっきり分かれています。

長坂 公と私の二元論だと、公共的なことをやると反社会的だと日本ではとられてしまいかねないのです。日本でNPO法人がなかなか一般化しない原因もここにあると考えています。

武田 「お上に背く行為」とみなされてしまうわけですね。

長坂 日本でも阪神淡路大震災を契機に、1998年にNPO法が制定されました。東日本大震災の時にもいろいろな人たちが大勢ボランティアに参加し、そこでNPOが非常に大きな役割を果たしました。
 それでも私たちはNPOに対して、いいことをすることもあるが、時には反社会・反国家的なことをすることもあると思っていて、そのため「敬して遠ざける」という姿勢が基本的にあります。オランダでパブリックセクターが、つまり市民社会セクターが国をつくっている感覚との差はとても大きいと感じます。  NPO法では「公益」という言葉が使われています。この言葉は英訳ではパブリック・インタレスト、つまり公共益のことです。NPO法を正しく書くには、「公益」でなく、「公共益」とするべきなのです。公益だと、公はお上であり、政府という意味になってしまう。
 

つまり、そもそもボトムアップで皆で熟議して合意した公共益が、日本語のトリックで、トップダウンの言葉としての国益と一致していなければいけないという言葉へと、逆転されてしまっているのです。

武田 イワシの群れのようですよね。群れでいることが正義なので、そこから離れようとすると強い同調圧力がかかる。

長坂 「こいつは忖度しないやつだ」ということになるわけです(笑)。それを強く感じたのが、2004年にイラクで日本人3名が武装勢力によって誘拐された事件です。


本件を取り上げたフランス『ル・モンド』誌の論説では、「あの3人のおかげで日本に対する誤解が減った」といったことが書かれていました。困っている人たちに対して自ら行動することで助けになりたいと思うすばらしい若者が日本にもいたんだ、と。でも、日本では彼らに対して激しいバッシングが起きましたよね。

武田 拉致されたのは自己責任、自業自得だ、という声が多かったですよね。

長坂 そういうバッシングが起こること自体が不思議だと、『ル・モンド』誌は書いています。若者たちは国益というものではなく、公共益に沿って行動した。それが、国際的には理解されるけれど、日本では公共益=公益=国益へと自動的に反転されて理解されてしまうので、反政府=反社会的な行動をしたと批判される。わがままで自分勝手な行動だ、と言われてしまうわけです。


■なぜオランダでは 「公共」が根付いたのか?
武田 日本で「公共」が育たなかった背景はわかりました。では、逆になぜオランダでは「公共」という考え方がそんなにも根付いているのでしょうか。

長坂 それには、オランダという国の成り立ちが関係しています。 (第2回へ続く)

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