松尾貴史のちょっと違和感 カジノで経済活性化? 粉飾しても博打は博打
松尾貴史のちょっと違和感 カジノで経済活性化? 粉飾しても博打は博打
2017年8月6日毎日新聞
日本に「カジノ」を造ろうという案が、にわかに現実味を帯びてきた感じがする。経済振興のために必要だという主張が相当以前からあったが、この話を進めようという動きが近年強まっている。
最初に大きな話題となったのは1999年に石原慎太郎氏が東京都知事になった頃合いだっただろうか。彼がなぜか熱心に推進しようとしていたことをよく覚えている。2002年には、石原知事が音頭をとって、都庁内の高層階でマスコミ関係者や国会議員を集めて大掛かりなデモンストレーションを行った。そこで催されたシンポジウムに、石原氏と昵懇(じっこん)だった放送作家でラジオパーソナリティーのはかま満緒さんや、なぜか私が指名されて参加をした。
その中でも言ったが、私はカジノ導入に条件付きの賛成派だった。反社会的勢力の温床だったラスベガスが健全な娯楽の街にひょう変したのを参考に、ギャンブル依存症対策に収益の数%を充てることや、当面は外国からの観光客のみを対象とした施設にするなど「外貨獲得の一助となれば」という都合の良いことを想定した考えだった。
その会場で、ルーレットに都知事と我々が興じる(チップのみで現金を賭けない)ところを報道陣に取材してもらう場面で、石原氏は小声で隣の私に「ギャンブル嫌いなんだよ」とささやいた。いやいやいやいや。なぜ嫌いかはその場で聞くことができなかったが、嫌いなものをこのように推進するにあたっては、よほど世のため人のためになると思っているか、個人的なインセンティブがあるのかと想像したり訝(いぶか)しんだりしたものだ。
あれから10年以上がたち、私の賛成意見は浅薄なものだったのではないかと考え直すようになってきた。いかに体裁を綺麗(きれい)にみせたり、経済活性化であると粉飾したりしても、博打(ばくち)は博打である。もちろん、カジノは立派な文化の一つだろうと思うし、世界中のディーラーその他カジノ事業に携わる職能たちも大いにプライドを持って仕事をしていることだろうと思うのだが、これを推進しようとしている政治家やその周辺の業者、官僚たちの思惑を想像するに、何か不健全なものを感じて仕方がないのだ。
私は、そもそも博打が嫌いで、子供の頃からギャンブルで生活が崩壊する人たちの様子を日常的に見ていたので、そもそもそのような悪習に手を染めることもなかったし、自分が選んだ芸能の仕事自体がルールのないギャンブルのような世界なので、遊びにまでそんな愚行を持ち込むことはないと考えている。賛成だった時も、自分は絶対に関わり合いにならないからこその無責任な発想だった。
「カジノ法案」が浮かんでは消えた原因に、犯罪が増えるのではないかと危惧する法務省の反対があったとか、すでに隆盛を誇っていた別の射幸性の強い娯楽についての警察の利権があり、カジノに賛成の議員はそのさじ加減ひとつで選挙違反を適用し「しょっぴける」という脅しが効いていた、などといううわさまであった。また、その業界がカジノへの参入に熱心になったので軋轢(あつれき)が小さくなったと見る向きもある。
大阪に万国博を誘致し、その跡地にカジノを設けるような案が浮上しているようだ。国際的なイベントが終わるとその都市が疲弊を起こしてしまう事例もあるが、そもそも財政が苦しい都市が無理をして大きな催しをやらかして採算が取れるのだろうか。高度経済成長の真っただ中、「外国を知りたい」「先端技術に触れたい」という欲求の強かった1970年ならまだしも、2025年の大阪では危険度が高すぎるのではないか。負の遺産を受け入れざるを得なくなったところに、採算が危ぶまれるカジノを造ろうなど、その連鎖におびえてしまう。そして、あてにせざるを得ない中国からの観光客は、いつまで押し寄せてくれるのかも不安ではないか。(放送タレント、イラストも)
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