安保法案の成立によって何ができるようになって日本にどんなメリットとデメリットがあるのかという本質的な議論が安倍総理が安保法案の本質を語らず漫画の世界をたとえ話にした為に殆ど伝わって来ませんでした。
安保法案の衆院審議で、法案の成立によって何ができるようになって、それが日本にどんなメリットとデメリットがあるのかという本質的な議論が殆ど伝わって来ませんでした。
それは、安倍総理が安保法案の本質を語らず漫画の世界をたとえ話にした為です。北海道新聞に反対・賛成の立場から専門家の意見が詳しく掲載されていました。安倍総理は安倍君・麻生君の漫画の世界でなく、本質の議論を国民の前で逃げず行ってほしいものです。
安保法案、衆院通過 専門家の見方は
(07/17北海道新聞)
戦後安保政策の大きな分岐点となる 安全保障関連法案 は、与党が衆院平和安全法制特別委員会で採決を強行、16日の本会議で可決し、衆院を通過した。外交・安全保障論、安倍晋三首相の政治手法、歴史的な観点などから、3人の識者に論じてもらった。
■法治国家からの逸脱だ 山口大教授・纐纈厚さん
この国の民主主義は滅んだのか。そう思わせる強行採決が演じられた。国民の圧倒的多数が異議を唱えているにもかかわらずだ。集団的自衛権 とは、自国が直接攻撃を受けていないのに、密接な関係にある外国への武力攻撃を実力で阻止する権利(=他国防衛権)のこと。この集団的自衛権の行使は「自衛のための必要最小限度を超える」として、政府見解において違憲とされてきた。
安倍政権は「 存立危機事態 」なる曖昧な用語を編み出し、強引にハードルを飛び越えた。一政府の憲法解釈 で容認に踏み切ったことは、立憲主義および法治国家からの明らかな逸脱だ。国家権力は憲法の枠内においてのみ行使されるもの。なぜ、国民の安全を守ると言いながら、国民の声を踏みにじるのか。一体何を、誰を守ろうというのか。多くの反対の声を押し切って、どうして国民や国家の安全を守れるのか。大きな疑問が残るばかりだ。
集団的自衛権の解釈、 海外派兵 の禁止原則、 武器輸出三原則、 非核三原則 等など歴代の内閣が「政治了解」してきた憲法規範が、次々とほごにされていく。法治国家としての形が崩れ始めている。これは人治主義の始まりなのか。 地方議会のごく一部で安保関連法の成立を求める決議が、なされているという。「抑止力」とは、判定不可能な力だ。抑止力の強化が、逆に危険を助長することは歴史が示してきたはず。抑止力強化論は、軍拡の連鎖につながるに違いない。その歴史の教訓を無視するかの決議に暗たんたる思いを抱く。
中央政府の判断にすがりつつ、地方自治体の住民の安全を危険にさらすことに、無自覚過ぎないか。軍事による抑止力の強化では、本来の安全も平和も守れない。必要なことは緊張緩和のために、「平和力」をつくり出していく知恵と行動だ。安保関連法反対の声の高まりは、この「平和力」獲得のための懸命の叫びではなかったか。
安倍晋三首相は繰り返し日本周囲の安全保障環境が変わったと説明する。「米ソ冷戦の時代」から「米中冷戦の時代」に入った、とでも言おうとしているのか。米国に追随し、“仮想敵”に対峙(たいじ)することが、本当の平和をつくり出すことになるのだろうか。それでは「戦争放棄」の目標がいつのまにか、事実上の「平和放棄」に結果するだけではないか。
現在を生きる私たちだけではなく、未来を生きる人たちのためにも、追随でも対峙でもない共生の方途を紡ぎ出すことが求められている。ある人は、それを理想と言う。そうだろうか。緊張が高まるほど、武力による平和維持の危うさが明らかとなる。緊張を解きほぐすためには、徹底した軍備管理と軍備縮小の道筋を探し出すことだ。そのためには追随と対峙の方針を捨てなければならない。骨太の協調の精神を互いに育み合う関係の構築に努めるべきであろう。そのことを私たちは先の戦争を通して歴史の教訓として学んだはずだ。
この教訓をほごにして、新たな戦争ができる国づくりに賛同するのか。若い青年たちや未来をも犠牲や危険にさらして結果される「平和」とは、一体どのようなものか。いま、私たちの知恵と想像力が試されている。私たちは、自立の精神のなかで、国際通用性のある「平和」をつくり出していくべきであろう。
■強引で姑息な手法懸念 慶応大名誉教授・草野厚さん
衆院での安保法制の強行採決により憲法改正の手続きなしに、この国の形が変わろうとしている。民主主義の危機だ。憲法違反の指摘もありいかにも強引だ。自衛隊法改正、重要影響事態 法等の策定がそれである。ここに至るまでの過程を振り返ると、自衛隊の海外活動が際限なく拡大する懸念を持たざるを得ない。
焦点の集団的自衛権だが、自国防衛に限るとはいえ、風穴が開いたことは間違いない。厳しい世論の批判を招いた昨年夏の閣議決定後、首相は真摯(しんし)に反対論に向き合うべきであった。唐突に行われた昨年末の衆院選は、自ら「アベノミクス 解散」と称して、国民のより高い関心である 消費税 10%への引き上げ時期先送り是非論に誘導し、結果として集団的自衛権の議論を封じた。
もくろみは当たり、低投票率の中、自民党は圧勝した。首相は、安保法制は自民党が公約し信任を受けたと言う(5月14日記者会見)が、選挙向け重点政策集では、外交安保20項目の一つで短く触れたにすぎず、「集団的自衛権」の一語を削った(前年版はあり)。集団的自衛権隠しとみられても仕方がない。
他方、相前後して行われた自衛隊記念日および防衛大学校卒業式の訓示では、集団的自衛権に言及し自衛隊の任務拡大の可能性に覚悟を求めた。首相が「全ては国民の命と平和な暮らしを守るため」と語気を強めるならば、なぜ真正面から有権者に問いかけなかったのか。こうした姑息(こそく)ともいえる手法には強い違和感を覚える。
もう一つの争点の重要影響事態法案だが、首相は「国民の暮らしと国民の命や幸せな暮らしを守るためにもし必要であれば行く」と述べ(5月28日、衆院安保特別委員会の答弁)、自衛隊の活動地域を限定しなかった。ホルムズ海峡の機雷掃海はもちろん、地球の裏側の活動も否定できない。首相は「例外なき国会の事前承認」があり、政府の自由にはならないと反論するだろう。しかし、国会関与など厳格な民主的統制を与党協議で実現させたのは自民党ではなく、公明党であった。
百歩譲って安保法制が必要だとして、その運用に不安を覚えるのは、国民主権を忘れた自民党内閣の近年の体質にある。安倍内閣が世論の反対を押し切って成立させた特定秘密保護法 の秘密指定に、自衛隊の特定の海外活動を指定すれば半永久的に検証は不可能となる。この点は参院で十分に議論してほしい。
メディアの報道内容に異常なほど過敏な最近の自民党政府の体質も、安保法制の今後と無関係ではない。NHKに加え、政府が許認可権限を持つ民間放送が自衛隊の活動の批判を控えるならば、国民の知る権利は失われる。最近も首相応援団の議員が一部メディアの報道ぶりを批判したことは記憶に新しい。メディアが政府の広報機関化すれば全体主義の国々と変わりない。
その懸念は党内から安保法制に関して異論が聞こえないことにも表れている。世論の半数が法案成立に反対し、説明も不十分とみているのに表立った批判がない。小選挙区制度などの理由を検討する紙幅はないが、与党公明党の存在を自民党内の異論とみるべきかもしれない。その意味で安保法制以降の日本の政治の最大の危機は、自民党がさらに膨張するか、公明党に代わる保守的な補完勢力が登場した時になろう。われわれの判断が問われる。
■憲法論に偏らぬ議論を 政策研究大学院大教授・道下徳成さん
安全保障関連法案は衆院での可決によって成立への道が開けた。不安定な朝鮮半島情勢や中国の台頭を鑑みれば、この法案は日本の安全保障にとって肝要だ。
衆院では安保法案が憲法違反かどうかが大きな焦点になり、安全保障環境を踏まえた実質的な議論が深まらなかった。それが国民の間で理解と支持が広がらなかった理由だろう。参院では日本の安全保障のために、なぜ安保法案の成立が必要なのかという観点から与野党の論戦を期待したい。
日本の安全保障にとって、安保法案は大きく二つの意義を有している。まずは朝鮮半島有事への備えと対応であり、具体的には自衛隊が集団的自衛権の行使により機雷を掃海できるようになる。北朝鮮に対する抑止力が向上するとともに、韓国防衛で米韓両国とさらに協力できる。
もう一点は、中国への対応でも安保法案は大切だ。これは中国との武力衝突を前提にするという意味ではない。南シナ海に象徴されるように軍事的に台頭する中国との均衡を図るためには、日米同盟を強化すると同時に、オーストラリアや東南アジア諸国、インドとの軍事的な連携を深めていく必要があるからだ。 日米ともに財政が厳しく、他の国々との協調が求められている。集団的自衛権を行使できるようにすることで、米国以外の国々とも本格的な共同訓練・演習も可能となる。こうした重層的な連携によって、日本の限られた防衛力を有効に活用する効果も期待できる。
安保法案の衆院審議で残念だったのは、法案の成立によって何ができるようになって、それが日本にどんなメリットとデメリットがあるのかという本質的な議論があまり交わされなかったことだ。
日韓関係も韓国国民の日本に対する感情が好転していない状況にある。政府、与党にしてみれば、国民から「なぜ日本が韓国の防衛に協力するのか」と指摘されかねず、韓国防衛を強調しにくい空気がある。中国との関係は好転の兆しが見えてきただけに、政府が中国の台頭を安保法案に結びつけた説明を正面切ってできなかった事情も大きい。
このため、中東ホルムズ海峡での戦時下の自衛隊による機雷除去が焦点になってしまった。集団的自衛権を行使することになる存立危機事態には自衛隊の活動に地理的な制約はなく、ホルムズ海峡の機雷除去は対象になりうる。ところがそこを安倍晋三首相が正直に強調したために、国民にとっては「そんな遠いところまで」という不安を抱かせる皮肉な結果になった。
安保法案は米国や国際社会の圧力ではなく、安倍首相のリーダーシップでここまで進み、その点では日本の安全保障の歴史上、画期的で高く評価できる。違憲論もあるが、最も大事で健全な議論の順番は日本の安全をどう守っていくかである。安保法案は憲法の限界を踏まえて現実的な落としどころを探った結果だ。
参院の審議では野党の役割も重要になる。憲法論、法律論だけに偏らない建設的な議論を求めたい。揚げ足取りのような質疑ではなく、安全保障環境の変化を十分に考慮して、日本が何のために、何をやるのかという現実に即した議論が欠かせない。
« 戦争法案が議論は尽くされたと強調して衆院で可決されましたが、自衛隊が 集団的自衛権 を行使し米艦船を防護する際、首相と防衛大臣の答弁が食い違う根幹部分の法案が全く曖昧なもので拡大解釈出来るものです。 | Main | 国と国が戦争すれば、世界から孤立して経済が立ち行かなくなり、国民生活は破壊されます。集団的自衛権などは冷戦時代の過去の遺物です、それはイランの現状を見れば良くわかります。 »
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