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「お番犬さま」に振り回される安倍政権

「お番犬さま」に振り回される安倍政権

2014年5月9日 田中 良紹氏より転載します


安倍総理は外国を訪問する度に「民主主義という価値感を共有する国との関係強化」を主張する。それを「価値観外交」と呼び、それによって日本の利益が得られると考えている。だが元はアメリカの受け売りである。

ところがアメリカはダブル・スタンダードの国だから、そう言いながら民主主義でない国とも裏で関係を強化する。反対に民主主義国を敵視して圧力をかけ続ける事もある。安全保障上の利益と経済的利益はイコールでなく、従って様々な組み合わせをその時々に判断するのがアメリカ外交である。

それに比べると安倍総理の「価値観外交」はまるで子供のように単純である。中国の台頭を封じ込める事が日本の利益だと思い込んでいるようだ。しかしアメリカをはじめそんなことを考える欧米の国はない。どの国も中国を台頭させないようにするより、台頭する中国と関係を強化する方が有益だと考えている。

しかも問題なのは「価値観」の中心にある民主主義の理解が安倍総理と世界とではまるで違う。アメリカの真似をして作った日本版NSCも特定秘密保護法もアメリカとは似ても似つかない。土台となる原理が違う。日本はむしろ安倍総理が封じ込めようとする中国の官僚制の原理と似ているのである。

アメリカは呆れているが、そこはダブル・スタンダードの国だから、それがアメリカの利益になると思えば黙って「歓迎」して見せる。すると安倍政権はその「歓迎」に喜んで自らを正当化し、アメリカはそれを見てまた腹の中で馬鹿にする。それが繰り返されている。

黒沢明の映画「七人の侍」は、冒頭、野武士の襲撃におびえる農民が広場に集まり、対策を協議するシーンから始まる。全員参加の会議である。様々な意見が出尽くしたところで農民は全員で長老の知恵を借りに行く。これは日本社会に昔から民主主義の仕組みが存在した事を示している。

民主主義はギリシアの都市国家アテネに始まるとされるが、それは西欧の誤った考えだとオーストラリアの政治学者ジョン・キーン博士が『デモクラシーの生と死』(みすず書房)に書いている。キーン博士はデモクラシーの歴史を古代から説きおこし、アテネの直接民主制はアジアから影響されたと指摘する。

ギリシア以前にフェニキア人の都市国家に全員で集会を開き、徹底して議論する仕組みがあり、それがギリシアに伝播してデモクラシーになった。その仕組みは現在でも中東諸国で見られる。アフガン戦争の時にアフガニスタンの「ロヤ・ジルガ(大会議)」が有名になったが、多数決で決めるのではなく、全員が賛成するまで話し合い、それでも決まらない場合は知恵のある長老に裁定してもらう仕組みである。

「七人の侍」でわかるようにそれは日本社会にも存在した。それを受け継ぎ自民党は決して多数決で決める事をしなかった。新人議員にも十分に発言の機会を与え、何時間でも議論を行い、全員が一致しなければ議長に一任する。議長は誰からも不満が出ないように結論を出す。それが西欧デモクラシーに劣らない日本の民主主義の仕組みである。

この慣例を破って多数決を採用したのは郵政民営化を決めた時の小泉総理である。それからの日本は、読売新聞が一面に「民主主義は多数決」と書いて、アメリカも呆れる特定秘密保護法の採決を支持したように、日本の民主主義は劣化の一途を辿った。選挙や複数政党や議会があってもそれだけでは民主主義は不十分というのが世界の常識である。それを安倍政権とその周辺はまるで分かっていない。

ところで「七人の侍」で農民たちは、腹を空かせた侍に食い物を与え、野武士から村を守ってもらう事にする。しかし侍に勝手な事をされてはかなわない。農民は侍に協力はするが何から何まで任せる訳ではない。そこに緊張関係が生まれる。農民が落武者狩りをしていた事が分かり衝突も起きた。そして最後は壮絶な戦闘で野武士を全滅させるが、侍も7人中4人が死んだ。「勝ったのは農民で侍ではない」というセリフで映画は終わる。

1960年に日米安保条約を改訂した岸信介や椎名悦三郎にとって、米軍は「七人の侍」で農民が雇い入れた「侍」のようなものであった。しかし椎名は米軍を「侍」と言わずに「番犬」扱いした。ただ「番犬」では失礼と思ったのか、「お番犬さま」と丁寧語にした。そしてアメリカの要求に基いて日本国内の基地を提供する事や経済的な支援をすることを「犬には時々エサをやる必要がある」と表現した。

安倍総理の祖父である岸信介の狙いは、不平等な安保条約の内容を平等にする事にあった。国内の基地を米軍に提供する見返りに日本の防衛義務を負わせ、さらに日米地位協定を変更して対等な関係を目指した。アメリカは地位協定の変更を認めず、目的は達せられなかったが、しかし日本が飼い主で米軍を番犬とする意識は変わらなかった。

「七人の侍」の侍と農民との間に緊張関係があったように、岸信介とアメリカとの間には緊張関係があった。農民は村を守るために侍を雇ったが、その侍が村と違う場所で戦う必要が出てきた場合、農民がそれに協力するかと言えばとんでもない。「飼い主が番犬の言う事を聞く必要などない」と考えていた。

1960年の国会で、岸総理は「集団的自衛権が日本国憲法において出来ない事は当然である」と答弁している。その一方で「基地の提供とか経済的支援を集団的自衛権というのならそれまで禁ずるのは言い過ぎだ」とも答弁している。つまり「番犬にエサをやるのは良いが、番犬のために飼い主が危険なことまでやる必要はない」という考えである。

その国会答弁から半世紀以上が経つと、飼い主が番犬にすり寄り、番犬に振り回される時代になった。民主主義を知らずに「価値観外交」を振りかざす総理は、祖父の教えを忘れて番犬に振り回されている。日本社会に昔からある民主主義とは異なるやり方で、集団的自衛権を実現させようとしている。やはりオツムが違うようだ。

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