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今年は嫌でも戦争を意識せざるを得ない 田中良紹氏

今年は嫌でも戦争を意識せざるを得ない

田中良紹氏より転載  2014/01/06

今年は嫌でも戦争を意識せざるを得ない年である。今年の干支は甲午だが、120年前の甲午の年には朝鮮半島の内乱に乗じて日清戦争が始まり、100年前には人類が史上初めて世界規模で総力戦を行った第一次世界大戦が起きた。そしてそのどちらの戦争も日中関係に今に続く大きな影響を及ぼしている。


尖閣諸島の日本領土編入を日本政府が閣議決定したのは日清戦争の勝利が確実になった1895年1月である。前年から始まった日清戦争は9月に日本海軍が清国海軍を圧倒して制海権を握り、すでに講和交渉の段階に入っていた。その力関係によって尖閣諸島は日本の領土となった。と言うのは、尖閣諸島の日本領土編入はその10年前から検討されていたにもかかわらず、実現してこなかったからである。それまで尖閣諸島はいずれの国にも支配されていない「無主の地」であった。しかし1885年に日本人の古賀辰四郎氏がアホウドリの羽毛の採取や漁業などを行うようになり、島の貸与願いを沖縄県に申請した。沖縄県は現地調査を行い日本政府に上申書を提出したが、政府は清国がすでに島に名前を付けている事などから、領土宣言を行えば紛争の原因になるとみて閣議決定を見送った。


それが10年後に日清戦争の勝利が確実になった時点で領土編入の閣議決定を行ったのである。日清戦争後の4月に結ばれた下関条約では「台湾とその付属島嶼」も日本に割譲させられることになるが、時系列から言えば「台湾とその付属島嶼」に尖閣諸島は含まれないと考えられる。現在は尖閣の領有権を巡り諸説が乱れ飛ぶが、日本政府が主張する「固有の領土」という言い方にフーテンはいささかの疑問を感ずる。中国が言うように日清戦争後の下関条約によって得られた領土ではないが、それまで清国との外交関係を考えて領土宣言を躊躇していた島を、勝利が確実になった時点で領土にしたのだから、「固有の領土」と言うより「日清戦争によって領土にした」と考えるべきではないのか。


この戦争の敗北によって、かつて「世界の文明国」であり「アジアの大国」であった中国は見るも無残な姿になった。日清戦争から6年後の辛亥革命によって近代国家の建設を始めるが内乱は絶えず、中国共産党によって国家が統一されるまで38年かかった。そして社会主義経済から改革開放に舵を切り、世界第二位の経済大国に上り詰めるまでさらに60年を要した。習近平国家主席は就任以来「中国夢(チャイニーズ・ドリーム)」をしきりに口にする。それは120年前、日清戦争に敗北して以来の屈辱の歴史からの脱却を意味する。そうした時に尖閣問題で日中が緊張関係にあることにフーテンは歴史の巡り会わせを感ずる。


100年前の第一次世界大戦は日本を帝国主義列強の陣営へと招き入れ、そして中国との関係を決定的に悪化させた。それより10年前の日露戦争で、勝てる筈のない強国ロシアに勝つことが出来たのはアメリカの仲裁によってである。強国ロシアの「防波堤」に日本を利用しようと考えたアメリカは、日本が有利な状況で停戦に乗り出し、ポーツマスでの講和を仲介した。負けを認めていないロシアは賠償金の支払いに応じず、逆に報復を恐れる日本は軍事費を膨張させざるを得なくなった。そしてアメリカは日本を次なる敵と見て日本攻略の作戦計画を作成し、ハワイに太平洋司令艦隊の基地を建設する。そうした中で1914年欧州に戦争が起きた。


欧州の帝国同士の利害関係が絡み合う戦争は、イギリス、フランス、ロシア対ドイツ、オーストリア、オスマン帝国との戦いとなり、日本は日英同盟によってドイツ帝国に宣戦布告する。日本陸軍はドイツが支配していた中国の青島を攻め、海軍は南洋諸島を攻撃した。戦勝国の一員となった日本はパリ講和会議に参加すると共に戦後作られた国際連盟の常任理事国になるが、中国との間に深刻な問題を生じさせた。日本はドイツが中国に持っていた権益を日本に譲渡するなど「21か条の要求」を中国に突き付け、中国は日本がドイツと戦ったのだから権益は中国に返還されるべきだと主張して対立した。イギリスとフランスは日本の主張を支持したがアメリカは支持しなかった。世界大戦の反省から、アメリカのウィルソン大統領は帝国主義の時代を終わらせ国際平和を実現するために、民族自決を訴え、国際連盟の実現を提唱する。これが植民地の民族主義に火をつけた。日本の植民地であった朝鮮では1919年3月1日に日本からの独立を叫ぶ「三一運動」が起きた。


中国では日本の「21か条の要求」を受け入れた袁世凱大統領に国民の怒りが爆発し、5月4日、北京の天安門広場に数千人が集まり、大規模な反日運動に発展していった。この「五四運動」が後に中国共産党の誕生につながったと言われる。2012年、民主党政権が尖閣国有化を打ち出したとき、青島で大掛かりな反日運動が起きたのは、第一次世界大戦後の「21か条の要求」で日本が青島の権益を要求したために起きた「五四運動」を思い起こさせる。

おそらく今年は欧州はもちろん、中国でもアメリカでも、100年前の第一次世界大戦にまつわる議論が出てくるだろう。とりわけ日本と中国の関係は世界が注目してくるのではないか。今年は日本人の歴史を学ぶ姿勢が問われるとフーテンは考えている。

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