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収量だけを重視する飼料用米の奨励策は農業生産者の意欲を損ない、品質向上の努力を破壊するものです

コメ政策の転換で必要なのは「所得倍増」などの中身のないスローガンではなく、農地確保から十分な営農経験を積ませるまでのきめ細かい就農支援策です。国民に良質の食料を供給し、国土や景観の保全などの多面的な機能を担う農業は、公共財と位置付けられます。これを忘れて、場当たり的な補助金の投入を続けても、農業強化にはつながりません。

北海道内の農家1戸当たりの耕地面積は都府県の15倍の22ヘクタールに上ります。しかしこれは必ずしも計画的に規模拡大を進めてきたわけではありません。多くの場合、地域を守るため、後継ぎのない離農者の農地を残った農家が吸収してきたからです。個々の農家が農地を増やす余力は乏しいですが、企業参入で解決を図る政府の発想は短絡的すぎます。製造業のような感覚で誘致し、採算に合わなければ撤退では地域はますます疲弊するばかりです。

収量だけを重視する飼料用米の奨励策は相変わらずの補助金政策による誘導で、政府が強調する「農家の自主的な経営判断」に逆行するものです。 北海道内の稲作農家が四半世紀にわたって積み重ねてきた良質米生産の努力に水を差しかねません。昔は、北海道米は、まずい米の代名詞でしたが、89年の「きらら397」の登場以来、農家、農協、行政が一丸となって食味改善に努めてきました。 品種改良やコメの成分分析に加え、農家の栽培技術のランク付けまで行いました。それが実を結び、「ゆめぴりか」「ななつぼし」は全国でも最高の評価を得ていますが、収量だけを重視する飼料用米の奨励策は農業生産者の意欲を損ない、品質向上の努力を破壊するものです。

コメ政策の転換 農家惑わす理念なき改革

(北海道新聞社説12月23日)

 

強い農業の担い手とはどんな農家なのか。何を目指し、どう強化するのか。競争力を高めると言うが、だれとどこまで競うのか。政府が今年、矢継ぎ早に打ち出した一連の農業活性化策からは、農家の疑問への答えが一切見えない。年明けには環太平洋連携協定(TPP)交渉が再開される。道内の農業者は、かつてない不安を抱えたまま年末を迎えている。  

政府は、10年間で全農地の8割を大規模農家に集約することなどにより、競争力を強化して農業所得を倍増させる方針を示した。その柱が、コメ価格の維持を目的に1970年から農政の根幹をなしてきた生産調整(減反)の廃止だ。5年後をめどに都道府県に対する生産数量目標の配分をやめ、併せて減反に協力する農家への定額補助金も打ち切る。減反廃止で米価が下落すれば、打撃を受けるのは、政府が育成を目指す大規模農家だ。飼料用米に手厚い補助金を設けて増産させることで、主食用米の生産抑制も狙っている。米価の行方は全く見通せない。一体、農政はどこへ向かうのか。農家は将来展望が開けぬまま、窮地に追い込まれている。

北海道の努力に逆行。

 農林水産省は主食用米の1割を飼料用米に転換することを前提に、新制度で農家所得が全国平均で13%増えるとの試算を示した。ここにあるのは農政改革の理念でも将来像でもなく、単なる補助金組み替えの損得勘定だ。確かに、飼料の輸入依存度を下げるのは重要な課題だが、飼料用米はあくまで選択肢の一つである。やみくもに増産に走るのではなく、畜産農家の要望を踏まえ、無理なく国産飼料への切り替えを進めるのが筋だろう。相変わらずの補助金による誘導は、政府が強調する「農家の自主的な経営判断」を曇らせる。  

何より問題なのは、道内の稲作農家がおよそ四半世紀にわたって積み重ねてきた良質米生産の努力に水を差しかねない点だ。「ヤッカイドウ米」とやゆされ、まずい米の代名詞だった道産米だが、89年の「きらら397」の登場以来、農家、農協、行政が一丸となって食味改善に努めてきた。 品種改良やコメの成分分析に加え、農家の栽培技術のランク付けまで行った。それが実を結び、「ゆめぴりか」「ななつぼし」は全国でも最高の評価を得ている。 収量だけを重視する飼料用米の奨励策は、優良産地の地位を確立した道内生産者の意欲を損なうものだ。

多様な現場に配慮を 。

品質向上とコスト低減の取り組みに終わりはない。しかし、こうした不断の努力と創意工夫は、TPPが想定する際限のない国際競争への準備ではない。そもそも米国などの大規模農業と比較すること自体に無理がある。 道民が道産米を食べる道内食率は、かつての4割程度から今や8割を超え、道外への出荷も増えた。政府が力を入れる輸出の重要性は理解できるが、第一の目的は「アジアの富裕層」ではなく国内の消費者に安全な主食を提供することだ。コメ作りの現場は多様で、安倍晋三首相が好んで口にする「瑞穂の国」といったあいまいなイメージでひとくくりにはできない。  

北海道のように政府が目標とする大規模化を達成済みの地域もあれば、小規模農家が集落維持のために必死に頑張る中山間地もある。当然、それぞれの実情に配慮した政策が要る。北海道が求めるのは、価格の変動にかかわらず、営農を継続できる補償措置だ。

地道な就農支援こそ。

道内の農家1戸当たりの耕地面積は都府県の15倍の22ヘクタールに上る。だが、必ずしも計画的に規模拡大を進めてきたわけではなく、まして優勝劣敗の競争の結果でもない。多くの場合、地域を守るため、後継ぎのない離農者の農地を残った農家が吸収してきたからだ。個々の農家が農地を増やす余力は乏しいが、だからといって、企業参入で解決を図る政府の発想は短絡的だ。製造業のような感覚で誘致し、採算に合わなければ撤退では地域はますます疲弊する。農業の担い手育成とは、経営者として自立させると同時に、地域に根付いた住民を育てる地道で息の長い取り組みである。

 

必要なのは「所得倍増」などの中身のないスローガンではなく、農地確保から十分な営農経験を積ませるまでのきめ細かい就農支援策だ。国民に良質の食料を供給し、国土や景観の保全などの多面的な機能を担うからこそ、農地と農村環境は公共財と位置付けられる。これを忘れて、場当たり的な補助金の投入を続けても、農業強化にはつながらない。 国民が何のために農業を支援するのか納得できなければ、農業にはむしろマイナスだ。

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