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すでに東京都の小平市長選については多くのブログで取り上げられていますが、予想通り支持率0.4%の「生活」の推す小林正則候補が大差で当選しました

すでに東京都の小平市長選については多くのブログで取り上げられていますが、予想通り支持率0.4%の「生活」の推す小林正則候補が大差で当選しました。この事はやはり現在の安倍政権の支持率はマスコミの捏造ではと思わせる結果でした。今回の選挙にはムサシがかかわっていないと云う情報がもし本当であれば、重大な意味があると思われます。

小平市長選については、色々書かれていますので情報を集めて見ました。読売新聞は民主党推薦としか書いていませんが、実際は民主・生活・社民・共産 推薦と書くべきです。

小平市長選、予想通り「生活」の推す小林候補が大差で当選。不正の仕組めない地方選挙では、自公は大敗する。よって、12・16は全国規模の不正選挙だったと確定。

小平市長選挙開票結です。
民主・生活・社民・共産 推薦の小林正則さんが当確!
小林 正則 無所属 33,106票
永田 政弘 無所属 19,108票

12・16不正選挙の比例票は以下の通りです。

自民  21,810票
維新  17,531票
民主  17,481票
公明  10,775票
みんな 9,243票
共産  7,146票
未来   6,502票
社民   2,431票
改革   1,356票
幸福    230票

自民・公明・維新・みんなで59,359票
民主・生活・社民・共産で 33、560票

小林 正則(こばやし まさのり、1952年7月24日 - )は、2005年、民主・共産・社民・ネット4党の支援を受けて小平市長選挙に出馬し、自由民主党、公明党の推薦を受けた現職の前田雅尚市長を破り、初当選した。2009年の小平市長選挙では、前回同様4党の推薦・支援により前小平市教育長の坂井康宣をダブルスコアで下し、再選。2013年の小平市長選挙では、自民・公明・みんな・維新4党推薦の元小平市議ら3人の対立候補を破り、3選

小平市長
小平市は元々保守地盤の強い地域であり、東京都下で軒並み革新首長が誕生した1960~70年代にも保守市政を守り抜いたため、05年の小林の当選により初めて非自民系の小平市長が誕生した。

05年の市長選挙では、前田雅尚市長の高齢・多選による弊害が選挙戦で焦点になった。前田は元小平市職員であり、3期12年間の市長時代に職員時代を加えれば、ほぼ半世紀以上にわたって小平市政に関わっていた。小林は、前田市政の堅実さを評価しつつも、官僚的で硬直化した市政を転換すべく「市長を変えよう 16年は長すぎる」をスローガンに掲げた。また「情報公開」「市民参加」をキーワードに市政改革を訴え、支持政党の枠を超えて幅広い支持を獲得した。マニフェストでは自治基本条例の制定や市政課題別の公募制市民委員会の設置を訴えた。

日本共産党は当初、独自候補(小平地区労議長の山内勝男)の擁立を進めていたが、共倒れを危惧した民主党が共産党に共闘を呼びかけた結果、共産党は小林を支持した。

1期目の小林市政は従来の前田市政からの転換を図り、特に子育て支援や障害・高齢者福祉に力を入れた。また、市内全域で車座集会を開催し、小平市民から意見を聴く場を設けた。小林は小平市議に初当選して以来、小平市政を熟知しており、自民党や公明党、職員らを目立って敵視せず、1期目は大きな改革を行わずに堅実な市政運営を行った。ただし、小林市政は福祉政策や市民サービスの向上を重視していたため、市議会の保守系会派からは土木、建設のインフラ整備の遅れを指摘された。

2013年4月9日 読売新聞)
現職の小林正則氏(60)が大差で3選を果たした小平市長選。夏の都議選、参院選の前哨戦とも位置づけられていただけに、小林氏を推薦した民主党関係者は胸をなでおろし、次点に終わった前市議の永田政弘氏(66)を推薦した自民党関係者は、引き締めに躍起だ。
 
「2期8年で市民の輪に入ることができた。期待に応えるべく、精いっぱい努力したい」
 投開票から一夜明けた8日朝、市役所に登庁し、職員に拍手で迎えられ、花束を贈られた小林氏は笑顔で抱負を述べた。2009年の前回選よりも5670票減らしたが、3万3106票を得て、永田氏に約1万4000票の差をつけた。
 
しかし、「私には過分な票。不安も大きかった」と自身が認めたように、選挙では苦戦を強いられた。政権奪回で勢いに乗る自民党は、国会議員を次々と応援に送り込み、攻勢をかけた。一方、小林氏は、「市民党」をアピールして、推薦を受けた民主党の名を極力隠すなど、守りの選挙を余儀なくされた。それでも勝てたことについて、小林氏は「自分は特定の政党の代表ではなく、18万市民の代表。2期8年の実績が評価された」と胸を張った。
 
「(安倍内閣の経済政策である)アベノミクス的な大きな風は地方自治体に吹かなかった」。そう振り返るのは次点に泣いた永田氏。7日夜、小平市内の事務所で報道各社の取材に応じ、「私の力が足りなかった」と神妙な面持ちで語った。
 
敗因について、自民党関係者は、候補者の年齢と出遅れを挙げた。「30歳代の女性候補者なら結果は違ったかも」。永田氏が立候補を表明したのは約2か月前の今年2月だった。都議選、参院選を間近に控えているだけに、各党の関係者は今回の選挙の結果を重く受け止めている。
 
自民党のある都議は「(政権奪回で)『もう大丈夫』という気の緩みがあったことは否めない。スタートラインに立ったつもりで、あと2か月、万全を期したい」と気持ちを引き締め、この日は関係者へのあいさつ回りに出た。民主党のある都議は「負けていたら士気は間違いなく下がっていた。この勢いで決戦に臨みたい」とし、ポスターの貼り替えに向けた準備を始めた。永田氏を推薦した日本維新の会の関係者も、「我々にとっての本番はこれから。都議選、参院選では全員当選に向け、全力を集中させる」と話した。


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