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勝ち組が負け組をひっぱていくと云う政策は全くの幻想であったと云う事が、後の金融新自由主義の崩壊で明らかに成りました

鉄の女と言われましたサッチャ-元首相が亡くなりました。確かにサッチャ-氏は長いイギリス病からか抜け出す政策を取りましたが、その後サッチャ-・レ-ガン主義は新自由主義へと発展し、格差社会を増幅させました。

強いものだけが勝ちその勝ち組が負け組をひっぱていくと云う政策はアメリカから日本の小泉政権にも受け継がれましたが、それが全くの幻想であったと云う事が、後の金融新自由主義の崩壊で明らかに成りました。現在でも英国では格差社会が大きく成りサッチャ-氏を非難する人々が多くいます。

日本も格差社会に陥りましたが、その政策のど真ん中にいました小泉竹中氏は殆ど糾弾される事はありませんでした。逆に糾弾されるどころか、竹中氏は現在の安倍政権の中枢にいる事が不思議です。

サッチャー氏 鉄の意志が残した教訓
(北海道新聞社説4月10日)

英国初の女性首相として強力な指導力を発揮したマーガレット・サッチャー氏が死去した。87歳だった。 妥協を許さぬ姿勢から「鉄の女」の異名を取った。新自由主義的な経済政策で国営企業の民営化を進め、英国病と呼ばれた社会に大なたを振るった。

経済構造は大きな変革を遂げた。「ゆりかごから墓場まで」と言われた手厚い社会保障制度は消え、所得格差が広がった。あらためて、その功罪の検証が求められよう。 米国のレーガン大統領(当時)とともに強硬外交で共産主義陣営と対峙(たいじ)し、東西冷戦の終結に貢献した。 首相在任期間は戦後最長の11年半に及ぶ。良くも悪くも英国を変え、国際政治に大きな足跡を残した。

サッチャー氏が首相に就任した1979年、英国は停滞のさなかにあった。工業生産は落ち込み、慢性インフレが続く一方、労働者は賃上げを要求しストライキを繰り返した。 元首相は「小さな政府」を掲げ、石油事業や電気、ガス、航空会社などを民営化し、大胆な金融自由化にも取り組んだ。競争原理を導入し、企業にも個人にも自助努力を求めた。公正だが容赦ないルールだ。

経済は活力を取り戻したが、労働運動は弱体化し大量の失業者が出た。公共サービスは低下し弱者へのしわ寄せが強まった。 サッチャー氏の信念の底流には「頑張れば報われる」との考え方があった。背景には、生家が食料雑貨店だった家庭環境があるのだろう。 サッチャー政権が基盤を固めたのは82年のフォークランド紛争だった。領有権をめぐるアルゼンチンとの戦争で勝利を収めた。

国民の支持は高まったが、両軍で900人が死亡した。指導者として開戦を決意した責任は重い。海底油田の発見を機に同島の帰属問題が再燃している。領土問題の解決の難しさを示している。

欧州より米国を重視しレーガン氏と盟友関係を結んだ。旧ソ連の指導者ゴルバチョフ氏とも信頼関係を築いたことが冷戦終結を実現させた。 日本にもしばしば訪問し、日産自動車の工場進出を強く働きかけるなどトップセールスを展開した。

サッチャー主義と呼ばれた政策は国鉄を分割民営化した中曽根康弘政権や小泉純一郎政権の構造改革路線にも影響を与えた。 いまや自由競争や規制緩和は世界的な潮流だ。しかし、勝者になれるのはごく一握りでしかない。 敗れた人たちへの政策こそ手厚くなければならない。十分なセーフティーネットを構築し再挑戦できる社会にする。そこを欠いたサッチャー政治の影は厳しく問われるべきだ。

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