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ジョー・オダネルの1枚の写真とコメント

ジョー・オダネルの1枚の写真とコメント

(2007年の、ある方のブログの転載記事です。)
この写真は、今、日本人が一番考えなければならない事ではないでしぃうか。

高校生の授業のため、英語の教科書を読んでいた。
一枚の写真が掲載されていた。

赤ん坊をおぶっている少年の写真だ。少年は見事に「気をつけ!」の姿勢をとっていた。戦後、進駐軍の兵隊がとった写真のようだった。あの頃の日本人は、少年でさえこんな見事な面魂をしている。たいしたものだよなあ・・・。それにひきかえ、今の・・・・。まあ、あの頃は貧しい時代だったから、弟や妹をおんぶして遊ぶのはあたりまえの風景だったんだろ。それにしても、この見事な「気をつけ」はどうだ。

外人に写真を撮られるんで精一杯「日本男児」してるんだろうか。なんて、思いながら説明の英文を読み進めていた。

ばかだった。とんでもないバカだった。あの、あどけないようすで眠っているとばかり思っていた赤ん坊は、死んでいたのだ!

撮影されたのは、被爆後の長崎。まだ小学生である少年は、赤ん坊を背負い、裸足で一人、焼き場に歩いてきたのだ。背負っている自分の弟妹である赤ん坊を火葬するために。少年は、あの姿勢のまま、焼き場の前で5~10分たたずんでいたという。

少年のまっすぐ向けられた視線の先には、焼き場の炎が映っているのだろうか。その炎の中に少年は何を見ているのだろう。何を見つめているのだろう。堅く、堅く少年は口を結んでいる。声をあげて泣き出したい衝動を、必死で少年はこらえている。
 
父は戦場へ行ったのだろうか。母は原爆で亡くなったのだろうか。他にだれもいなかったのだろう。あの小さい体で、運命の全てを一身に負い、気をつけの姿勢のまま屹立している少年。

涙が止まらなかった。今から60年前に確実にあった光景。しかも、どこにでもありふれていた風景。あの風景から戦後が始まったのである。今、僕らはあの少年に対し、どんな言葉が投げかけられるだろうか。何もありゃしない。語れる言葉など何一つない自分のうすっぺらさが強烈に身に沁みる。ただ、泣くしかないのだ。

撮影した米軍の兵士は、後に写真家となったジョー・オダネル。彼のリビングにはこの写真が今も飾られているという。絶望と悲惨さのただなかで、全身全霊で運命をこらえながら必死に屹立しようとする小さな、本当に小さな存在。僕らは、この子たちに何を語れるのだろう?

*未見のかたは、ジョー・オダネルのこの写真、ぜひに見ていただきたい。
そして、既にご存知の方は、私のアホさかげんを笑ってください。なお、授業は泣き崩れてしまったため、できませんでした。

写真を撮影した米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント:

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。・・・10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。・・・しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。・・・少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。

この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
 
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。」(朝日新聞社写真展コメントより抜粋)

戦争が基幹産業の国があります。世界で最も凶暴な国、中国語で『美しい国』を意味する国です。戦争を起すためなら、自国民をも欺き、何千人もの自国民をも手にかけてでも戦争を起したい国。彼等は、かつて用意周到な戦争準備をし、日本軍の真珠湾攻撃を事前に察知しながら自国民に知らせず自国の軍人を多数死地に追いやりました。

無論、国民世論を第2次大戦への全面参戦止むなしの方向に向けるためです。
トンキン湾事件を自ら演出し、ベトナムに介入し、9.11インサイドジョブではブッシュ家とかねてから懇意だったビン・ラディンを使い、プロバガンダを演出し自国民を多数殺し、イラク、アフガニスタンに侵攻しました。

自国民を欺き、9.11を自作自演したという疑惑を持つアメリカ人はもはや半数に迫ろうとしています。日本では見事な報道管制が敷かれ、そのような報道は全く行いませんが。

某国が何故、イラクに侵攻したのでしょうか。それは、石油資源の強奪だけではなく、真の理由はドル防衛です。天文学的な借金を背負う某国は、世界貿易の機軸通貨がドルであることによって命運が維持されています。お金が回っている限り、どんなに借金があろうともやっていけるのです。

しかし、9.11内部犯行前に、事件がありました。イラクが石油取引の決済をドルからユーロに換えることを決定したのです。そのままにしておくと大変です。だから、自国からあんなに遠くの核兵器も、大量破壊兵器も持たないあの国に侵攻したのです。

アフガニスタンはどうだったか。タリバンがアルカイーダをかくまっているというのは口実で、実は麻薬利権の維持だったのです。アフガニスタンはケシの産地で、麻薬の生産をしアメリカに流していたのです。裏で麻薬取引のボスをしていたのがパパ・ブッシュです。タリバンが宗教的な理由から、麻薬製造を弾圧しアメリカに麻薬が入らなくなったのです。その状況を打破し麻薬生産をさせるためにタリバンを打倒しようと侵攻したのです。

日本政府は当然その事を知っています。知っていながら宗主国『美しい国』に貢物をし続けています。8月9日は長崎に核兵器が落とされた日でした。時の大統領は開発されたばかりの『ウラン濃縮型』『プルトニウム型』2種類の核兵器を異教徒の虐殺に使いたくてしようがありませんでした。

だから、降伏を待つばかりの日本に、2種類の核兵器が人体にどのような影響を与えるかの実験として核兵器を2種類使用したのです。ソ連の参戦の情報を察知していたこともあり、参戦前に落としたかったのです。まづは、『落とす』事が先決でした。

日本が降伏する前になんとしても落としたかったのです。これは、戦争という特殊状況下にあるといっても、決して許してはならない極悪非道の犯罪です。
確かに旧日本軍が残虐非道な所業を行ったことは許しがたい犯罪ですが、このホロコーストは人類史上最大の犯罪行為だと思います。

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