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私たちがこれから原子力にどう向き合っていくベきか(新しい生き方創出を倉本聰)

私たちがこれから原子力にどう向き合っていくベきか

新しい生き方創出を 倉本聰
(北海道新聞2月5日に掲載されました)

東京電力福島第1原発事故からまもなく2年。放射能汚染が福島の住民を苦しめ続ける一方、国が今後のエネルギー政策で原子力をどう位置づけるか、核のごみの問題をどうするかは、なお不透明なままだ。

戦後、日本の社会はどんどん豊かになり、暮らしを支えるエネルギーに原子力を使うようになった。しかし、戦時中に生まれ、飢餓と貧しさの中で育った僕は「こんなぜいたくがいつまでも続くのか」という不安、恐怖をずっと感じていた。

そこに、東京電力福島第1原発の事故が起きた。えたいの知れない不安は、これだったのか。そんな思いだった。放射能の危険があり、核のごみの処理に見通しが立っていない原発には、もともと反対だった。しかし、原発事故がもたらす負の遺産の大きさは、想像を超えていた。

風化が進行

事故後の2011年秋、福島県飯舘村、川俣町など原発近隣の被災地を訪れた。紅葉がすごくきれいで、各農家でカキがたわわに実っていた。でも、(放射能汚染の影響で避難しているため)だれも採る人がいない。故郷があるのに戻れないつらさ。そこに、炭鉱閉山とともにマチを追われた道内の産炭地の人々が重なって見えた。

実際、日本の炭鉱労働者は閉山後、原発の作業現場にかなり流れたという現実もある。こうした結びつきを考えながら、炭鉱マチの青年たちが原発や核のごみの問題に向き合う舞台「明日、悲別で」を書いた。

閉山後、悲別を出て福島の原発で働く者、廃坑に放射性廃棄物を埋めようとする者も登場させた。

昨年夏、福島など被災地で公演した。舞台を見たみなさんからは「ありがとう」と、痛いぐらいにぎゅっと手を握られた。「まだ被災地を忘れないでくれている」という思いが大きかったのだろう。

僕もぐっとくるものがあった。しかし、あれだけの事故だったのに、世の中ではどんどん風化が進んでいる。電気料金値上げや経済活動への影響を心配して原発推進の声も上がっている。命にかかわる問題なのに、景気や経済の話にいくのはとんでもない論理のすり替えだ。
 
原発を使い続ければ、放射性廃棄物も増え続ける。インディアンには「地球は子孫から借りているもの」という言葉があるが、危険で数万年以上人が近づけない核のごみの問題に、今の世代は責任を持ちようがない。孫のそのまた孫の世代が放射能にやられても。「想定外」で片付けられるのではないか。

需要仕分け
 
人間がこれだけの電力を使うようになったのは、自分の中に本来ある力を使わず、サボりたいと考えたからだ。5メートルを歩くエネルギーを節約するために、テレビのリモコンを使う。コンビニは24時間営業する必要があるのか、自動販売機はこんなにたくさんいるのか。そういうところから「需要仕分け」を考えていくべきだ。もし1970年代の暮らしに戻れば、電力消費は今の5分の2で済む。

北海道では再生可能エネルギーの活用も期待できる。例えば、夏場は使われていないスキー場の敷地に太陽光パネルを置くとか。今までの常識を超えた発想も必要になる。

「悲別で」では、「希望」が詰まっているというタイムカプセルを探しに廃坑に入った青年たちが落盤事故に遭う。そこで偶然見つけたカプセルには、つるはしとスコップが入っていて、何とか自力で脱出しようとする。
 
今、原発に頼らない社会を目指す上でも、一番求められるのは、自分たちの知恵や力で新しい生き方を創り出していくこと。そこにこそ、「希望」があるのだと思う。


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