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北海道新聞に朝日・毎日とは違った佐藤優氏の指揮権発動発言問題の記事が載っていました

北海道新聞に朝日・毎日とは違った佐藤優氏の指揮権発動発言問題の記事が載っていました。

朝日・毎日の社説と比べますと、現代の大手マスコミの幼稚さと酷さが良く解ります。

作家・元外務省主任分析官佐藤優 指揮権発動発言について検察復権へ対立恐れず

『さとう・まさる60年東京生まれ。同志社大大学院修了。外務省で主に旧ソ連・ロシア担当として北方領土問題交渉などを担当。著書に「国家の罠(わな)」「自壊する帝国」「はじめての宗教論右巻/左巻」「外務省に告ぐ」など。』

4日、小川敏夫法相は退任会見において、東京地検特捜部の検事が事実に反する捜査報告書を作成した問題に関して、指揮権発動を決意していたことを明らかにした。

小川氏は、「本当に検察に対する信頼が損なわれている時に、検察が身内に甘い、あるいは適当な形で幕引きをしてしまうことがあれぱ、国民の信頼・の回復は得られないのではないかということを非常に心配をした。そういう中で、私自身は指揮権の発動も決定したんでありますが、総理の了承も得ちれなかったので大変残念に思っている」と述べた。
 
捜査報告書を作成したのは、小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」をめぐる捜査に従事した田代魔政弘検事(現・法務総合研究所教官)だ。2010年5月17日、当時、東京地検特捜部に所属していた田代検事は、小沢氏の秘書だった石川知裕衆議院議員を取り調べ、捜査報告書を作成した。

この捜査報告書が検察審査会の審査に提出され、小沢氏の強制起訴を決める資料となった。ところが、石川氏は、取り調べをICレコーダーに隠し録音していた。録音に田代検事が捜査報告書に記載した「検事から『11万人の選挙民の支持で議員になったのに、うそをつけば選挙民を裏切ることになる』と言われたのが効いた」との石川氏の発言はなかった。
 
田代氏は、「逮捕中のやりとりと、記憶が混同した」と釈明しているが、説得力に欠ける。捜査報告書における田代氏と石川氏のやりとりは問答形式で記載されている。直近の記憶が混同するような人が正確な記憶力を必要とされる司法試験に合格することはないからだ。

仮に田代氏の釈明が事実で記憶が混同するという性癖を持っているならぱ、『過云に同氏が作成した供述調書や捜査報告書は、すべて記憶が混同している可能性があり、信用できないということになる。その結果、検察の傷口はかえって大きくなる。
 
記者からの「指揮権発動を相談した時はどんな問題意識からだったのか」という質問に対し、小川氏は「きちんとした形で対応しなければ、国民の信頼は回復できない。いいかげんな形で幕引きする事がある。あるいは、そのように国民から受け取られてしまえば、国民からの信頒回復は遠のいてしまう。

そういう意味で私はやはり、検察の信頼回復を何としても実現したいという思いであった」と答えた。さらに小川氏は、「客観的な資料を見れぱわかることだが、捜査報告書の中身、捜査状況の録音を詳細に見てみれぱ、記憶違いではないというふうに誰しもが思うのではないかと思う」と述べた。

小川氏の発言には説得力がある。筆者は、小琲氏の発言に、検察庁に対する強い愛を感じる。小川氏は、1976~81年、検察庁に勤務した元検事だ。それだから、虚偽捜査報告書をめぐり自己保身に走る検察官僚の心理が手に取るようにわかるのだ。検察内部で自浄能力を発揮できないならぱ、政治主導で検察の文化を変えなくてはならないと考えるので、古巣である検察庁と対立することを恐れずに指揮権発動について述べたのだ。
 
「検察内部のことについて消極的であると言う場合に、これを積極的にならしめるということについては、やはり国民から選ぱれた法務大臣の本来の姿ではないかと思う」という小川氏の発言は、検事の琴線に触れる力がある。
 
石川氏は筆者に「田代さんも、組織の命令で無理をしたのでしょう。こういう酷い仕事をさせられて可哀想だ。何とか守ってあげる方法はないだろうか」と真顔で相談してくる。

10年前、鈴木宗男事件に連座して筆者も東京地検特捜部に逮補された経験があるので、石川氏の気持ちはよくわかる。特捜検事は正義惑が強く、仕事熱心であることに、被疑者も共惑を覚えるのだ。

筆者にしても石川氏にしても、仕事熱心でなければ特捜検察に逮捕されることはなかった。石川氏には、田代氏の境遇が自分と重なって見えるのである。筆者は、「真実をすべて明らかにすることが田代さんにとって最大の防御になると思う」と答えている。

(朝日新聞6月6日)
朝日新聞社説:法相の指揮権―見識欠く危うい発言だ
 いかにも軽い。積みかさねてきた議論を無視した、見識を欠く発言というほかない。  内閣改造で法相を退いた小川敏夫氏が「指揮権の発動を決意したが、首相の了承を得られなかった」と語った。小沢一郎・民主党元代表の政治資金事件に関連して、事実と違う捜査報告書をつくった検事を起訴するよう、検事総長に命じることを考えたのだろうか。
 
この検事への処分の当否は、法務・検察当局の調査結果の公表をまって考えたい。現時点での問題は、政治の世界に身をおく法相と、司法権と密接不可分な関係にある検察権との関係をどうとらえるかだ。
 
法相は個々の事件の処理については、検事総長を通じてのみ指揮できる。検察の独善をおさえて民主的なコントロールの下におくとともに、政治の都合で捜査が左右されるのを防ぐために設けられた規定だ。
 
私たちは指揮権の発動を頭から否定するものではない。尖閣諸島沖事件のときも、外交などすぐれて政治的な問題に重大な影響をあたえる場合、内閣として判断をすることはありうる、ただしその場合は国民にしっかり説明し、評価を仰がなければならない――と主張した。
 
逆にいえば、検察の任務をこえたそのような複雑・微妙な事情がからむときに、例外的に発動されるべきものである。 今回はどうか。 小川氏は「検察が身内に甘い形で幕引きすれば、信頼回復はならない」と考えたという。認識は共有するが、そのことと法相が捜査について具体的に命じることとは別である。
 
起訴権限は検察のためにある道具ではない。起訴、不起訴はあくまでも証拠に基づいて判断されなければならない。そして不起訴処分がおかしいかどうかは、国民から選ばれた検察審査会の場で、やはり証拠に基づいてチェックされる。ほかにも、公務員の職権乱用行為をめぐって被害者などからの請求をうけ、裁判所が裁判にかけるかを決める制度もある。
 
「身内に甘い幕引き」があれば、こうした仕組みのなかでただすのが筋で、法相の思惑による介入は厳に慎むべきだ。人々が検察に向ける不信感に乗じる形で、政治があれこれ口を出し、それを当たり前と受けとめる空気が醸し出されることを、私たちは恐れる。
 
政治と検察が緊張感をもって適切な均衡を保たなければ、民主主義を支える土台はむしばまれていく。国民は、そんな事態を望んではいない。

(毎日新聞6月6日)
毎日新聞社説:指揮権発動発言 あまりにも軽すぎる
 
 発言の背景や経緯を振り返ると、あまりにも軽すぎないか。
小川敏夫前法相が、陸山会事件の捜査報告書に検事が虚偽の記載をしていた問題に絡み「指揮権の発動を決意したが、総理の了承を得られなかった」と退任会見で述べたのだ。
 
野田佳彦首相との詳しいやり取りや具体的な指揮内容については明言していないが、会見での発言に照らすと、担当した検事の起訴を促す狙いがあったとみられる。
 
法相の指揮権は検察庁法に規定され、「個々の事件の取り調べや処分については検事総長のみを指揮することができる」と定められる。 検察の暴走や行き過ぎに歯止めをかける一方で、捜査現場への不当な政治介入を防ぐのが目的だ。
 
過去の発動は、1954年の造船疑獄事件の1例だけだ。この際、強い批判を浴びて、当時の犬養健法相は辞任した。内閣を揺るがしかねないほどの強い副作用があるだけに、歴代の法相は極めて抑制的に指揮権の行使と向き合ってきたのだ。
 
もちろん、法律に定められた法相の権利であり、検討するのは自由だ。前法相が会見で主張した「国民の検察への信頼が損なわれている時に、検察が身内に甘い形で幕引きすると信頼は回復できない」「検察が内部の事件で消極的なら、積極ならしめるのが法相の本来の姿だ」との考え方も理解できないではない。
では、それだけの準備をし、覚悟を持って臨んだのか。

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