少し前の読売の記事ですが元秘書が小沢氏の公共工事「天の声」を証言を検証してみました
少し前の読売の記事ですが元秘書が小沢氏の公共工事「天の声」を証言を検証してみました。
(2011年12月2日11時02分 読売新聞)
民主党の小沢一郎元代表の秘書を務めた高橋嘉信元衆院議員は、自民党などが国会内で開いた会合に、小沢氏が東北地方の公共工事を巡り、「天の声」を出していたとするコメントを提出した。
高橋氏本人は出席しなかった。コメントでは、1998年に岩手県のダム受注に関し、小沢氏から「この地域のことでこのゼネコンには世話になったことがあるので、ダムはこのゼネコンにしろ」と指示を受け、談合の仕切り役だったゼネコン側に伝えたなどとしている。
しかしこの時の岩手県知事は自民党のお友達の増田寛也知事だった筈です、増田元知事は何も反論しないのでしょうか。
また当時の朝日新聞も下記の様に伝えています。
主役お国入りに熱い視線(朝日新聞岩手版2004年)
胆江地区で、小沢の強固な地盤を支えてきた建設業界の中にも、「今回だけは」と高橋支持に傾く業者が相次いでいる。93年の自民離党以来、自身が推した候補者を参院選で負けさせたことがない小沢にとって、初めてともいえる事態だ。その裏に、長年小沢の秘書を務め、民主陣営の選挙を仕切ってきた高橋嘉信の離反があった。3月初旬、嘉信は大手ゼネコン約40社の盛岡営業所から、水沢市を中心に約120人を動員して、3日間で高橋陣営のポスター1万枚を張らせた。無所属だが、自民と公明県本部の推薦を得た高橋は、与党候補。国直轄事業の多い胆江地区では、「与党とのパイプを太くしたい」との本音ものぞく。
胆江地区に胆沢ダムがある。そのお膝元では国直轄の胆沢ダム事業を意識し、建設業界には「与党とのパイプを太くしたい」と小沢陣営から離反する動きがあったという。こうした動きは、胆沢ダム建設工事の受注に小沢事務所の影響力がなかったことを、当時の新聞記事が証明していると言えないだろうか。国直轄の公共事業は、やはり政権与党です。
陸山会事件で、岩手・秋田で天の声を出していたと推認した、登石郁朗裁判長はこの様な新聞記事や証拠を読んでいないか、全く政治建設業の事を理解できないとしか思えません。また小沢氏を金権政治家と罵る人間もこの高橋嘉信元衆院議員の行動を見て、理解しようとすれば、簡単に解る事です。
また、高橋嘉信は東北で小澤一郎氏の名をかたって私腹を肥やした極悪人です。
小沢王国を乗っ取り自らが東北の天皇になるために自民党と手を組み東京地検特捜部にガセネタを売り込んだ張本人です。
天の声ストーリーは高橋嘉信が小澤一郎氏の名をかたってゼネコンから金集めをした手口を検察に事細かに説明して小沢冤罪捏造のスキームの基本を提供し、特捜検察が小沢を首尾良く落とせば、小沢王国の地盤をそっくり己が乗っ取り東北の天皇になれると思い込んだ為です。
高橋嘉信の狙い通りに検察とマスコミが小沢抹殺キャンペーンに狂奔して小澤一郎氏が民主党代表を辞任した事で自民党と組めば直接対決で小沢に勝てると思い込んだ大馬鹿者で結局選挙では惨敗に追い込まれて自らの政治生命を失いました。
一連の事件は元々が高橋嘉信が小沢潰しの目的で検察に持ち込んだガセネタであり中身の無い幽霊話に過ぎなかったのですが国民主権の民主革命を称える小澤一郎氏の豪腕を恐れた既得権益利権集団が無理を承知で小沢抹殺へと暴走しました。
検察も裁判所もマスコミも国民を騙した小沢抹殺キャンペーンを今更、間違いだとは言えないので民主党内の反動勢力と組んで最後まで突き進んでいます。小澤一郎氏が身動き取れない間に民主党政権を官僚機構が籠絡して既得権益利権集団のロボットに改造する計画は着々と進行中です。
西松建設は高橋嘉信から政治献金の増額を要求されて献金チャンネルを増やす為に高橋嘉信の教えに従って政治団体を設立して総務省に届け出ました。この政治団体からの献金は政治資金規正法には違反せず西松建設事件は消滅しました。
水谷建設川村尚社長は胆沢ダム建設工事の下請け幹事社になる為に高橋嘉信から1億円を要求されて水谷功会長の許可を受けて裏金を用意したが相手の高橋嘉信が小沢事務所に居なくなって高橋嘉信の後任者となった大久保秘書に連絡したが相手にされず、水谷功会長から叱責された川村尚社長は石川議員と大久保秘書に2回に分けて5千万円づつ渡したと嘘の報告をしたが、結果的に胆沢ダム工事の下請け幹事社にはなれず裏金が何処に消えたか不明のままです。脱税で服役中の水谷功会長は裏金1億円が小沢事務所には届いていないと思っている。
そもそも高橋嘉信は小沢氏の元秘書。小沢氏も信頼しきって居たが、周囲の人や支持者からも、徐々に高橋の横柄な態度が耳に入りやむなく破門しました。
その後、自民党は破門にされた高橋嘉信を衆院岩手4区から立候補させたましが見事落選。2003年11月の総選挙に不出馬、引退。
翌04年(平成16年)3月には、7月に投開票される参議院議員選挙での自民党系無所属候補の支援を表明するに至り、高橋氏と小沢氏との関係が破綻していたことを世間に知らしめた。その後、岩手での選挙という選挙で小沢氏と対立、06年3月奥州市長選に出馬し落選。結局、09年総選挙で自民党公認として小沢氏と小選挙区で直接対決し玉砕し政治生命を終えています。
この事実が解れば誰が裏で本当の筋書きを書き誰が金権政治家で、どの党が金権党か良く解るはずです