高橋 嘉信元代議士の政治とカネ PARTⅠ【不思議発見!】
この記事を読みますと小沢事件の始まりとその元凶が良く解ります。
地獄への階段様より転載します。
http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop/21988216.html
高橋 嘉信元代議士の政治とカネ PARTⅠ【不思議発見!】
きょうから高橋嘉信元衆議院議員の政治とカネを見てゆく。高橋嘉信氏といえば、2000年(H12年)の衆議院選挙で自由党から比例区東北ブロックで出馬、初当選するまでは、小沢一郎氏の大物秘書として名を馳せた人物といわれている。
ネット空間に漂う情報によると、当選後の彼に関して、ブログ/国会傍聴記by下町の太陽・宮崎信行 様が、09年3月6日エントリー「【大逆転】巨大ブーメラン、自民党の高橋嘉信支部長(岩手4区)が西松建設に献金を要求していた 読売」において、おもしろいエピソードを紹介して下さっている。
(引用開始)高橋支部長は、小沢一郎さんの政策秘書を経て、2000年比例東北ブロックから衆院議員になりました。しかし、その後も「衆議院議員 小沢一郎 秘書 高橋嘉信」という不可思議な名刺をつくり、ゼネコンにあいさつに来させ、「小沢には私から言っておきます」と述べながら全く連絡しないという行為を繰り返していたそうです。(終了)
ネット空間には、それを裏付けるエピソードがあった。
21世紀のミカタ様のエントリー「高橋嘉信さん、一体どうしたの?」から一部引用させていただく。
(引用開始)小沢さんが選挙応援で来福された時も、その徹底した秘書ぶり(当時、彼自身も国会に議席を持っていたのだが)には、頭の下がる思いだった。私には、高橋さんの東北人ならではの一徹な思いにとても共感したし、とても誠実な人柄を感じたものだった。その時、彼がよく、こう話していたことを覚えている。「僕の趣味は、小沢一郎なんだ」(終了)
なるほど。
国会議員でありながら、実際、秘書として振る舞っていた時期もあるようです。(笑)
小沢氏と高橋氏との関係を考える。
国会議員と秘書という主従の関係が、2000年高橋氏の衆議院議員当選で、双方、国民を代表する対等の立場となる。言ってみれば、高橋氏は、小沢藩の城代家老から城持ち大名に出世したと言える。先のエピソードのようなことがあったからかどうか知りませんが、彼は2003年11月の総選挙に不出馬、引退。小沢事務所戻らず、ネット空間には「破門された」との情報もみられる。
翌04年(平成16年)3月には、7月に投開票される参議院議員選挙での自民党系無所属候補の支援を表明するに至り、高橋氏と小沢氏との関係が破綻していたことを世間に知らしめた。その後、岩手での選挙という選挙で小沢氏と対立、06年3月奥州市長選に出馬し落選。結局、09年総選挙で自民党公認として小沢氏と小選挙区で直接対決し玉砕し政治生命を終えている。
それでは、04年当時の新聞記事を転載する。
主役 お国入りに熱い視線 <対決 04年いわて参院選:上> (朝日新聞岩手版)
胆江地区で、小沢の強固な地盤を支えてきた建設業界の中にも、「今回だけは」と高橋支持に傾く業者が相次いでいる。93年の自民離党以来、自身が推した候補者を参院選で負けさせたことがない小沢にとって、初めてともいえる事態だ。その裏に、長年小沢の秘書を務め、民主陣営の選挙を仕切ってきた高橋嘉信の離反があった。3月初旬、嘉信は大手ゼネコン約40社の盛岡営業所から、水沢市を中心に約120人を動員して、3日間で高橋陣営のポスター1万枚を張らせた。無所属だが、自民と公明県本部の推薦を得た高橋は、与党候補。国直轄事業の多い胆江地区では、「与党とのパイプを太くしたい」との本音ものぞく。
「国直轄事業の多い胆江地区では、「与党とのパイプを太くしたい」との本音ものぞく。」
「胆江地区に胆沢ダムがある。そのお膝元では国直轄の胆沢ダム事業を意識し、建設業界には「与党とのパイプを太くしたい」と小沢陣営から離反する動きがあったという。こうした動きは、胆沢ダム建設工事の受注に小沢事務所の影響力がなかったことを、当時の新聞記事が証明していると言えないだろうか。国直轄の公共事業は、やはり政権与党なんだよね
小沢氏を超える寄付収入を集める高橋嘉信氏
二人とも、資金管理団体で「個人献金」を、政党支部で「個人」と「企業・団体献金」を集めている。高橋氏は
。小沢氏の場合、収入の柱は、小沢一郎政経研究会が集める5千万~1億もの政治資金パーティー券販売収入ですし、高橋氏にはそれがありません。資金力を比較したものでないことに注意して下さい。
それでは、私の感想から。!
一つは、小沢氏の企業団体献金が、2003年をピークに年々収入額を減らしていること。03年9月26日は民由合併の日。その翌年から、みごとに民主党カラーに合せ、企業団体献金の比率を下げている。こう書くと嫌小沢の皆さんから、「汚沢の影響力がなくなっただけ。信者の妄想ウゼー」とお叱りを受けそうですが、政権交代を、視野に入れた08年、実現した09年、小沢氏の影響力が増大した時期にも、しっかりと企業・団体献金を減らしているのですから、そうした批判が当たらないと推認(笑)できるのではないでしょうか。
さて、二つ目は、高橋嘉信氏です。2000年6月に当選した一期生にも関わらず、初年から2千万を超える企業・団体献金を集めているのに驚く。寄付は誰が?
これは、官報に掲載された2000
なるほど地元岩手や仙台市を中心に、建設関係からの寄付が多くを占めている。
私が驚いたのは、高橋氏が小沢氏を超える「個人献金」を集めていたことです。まず2002年(平成14年)に注目すると、高橋氏は、この年、嘉友会で328万円、政党支部で781万、合計1109万の個人献金を集め、小沢氏は、陸山会で950万、政党支部で120万、合計1070万を集めております。
嘉信は一郎より、39万も多く集めたのか
国会議員一期目にしては、驚くべき資金調達力だ。小沢一郎元秘書の肩書きは、その小沢一郎をも凌駕してしまうのか!(笑)
次に、2004年(平成16年)と2005年(平成17年)に注目します。ちなみに、04年、05年といえば、水谷建設の裏ガネが噂される年です。(笑)両名とも個人献金が大幅に増加している。高橋氏なんて、国会議員を引退したのに過去最高を記録している。
04年、高橋氏は、嘉友会だけで、個人献金を2244万集めている。小沢氏は、陸山会が2004万、政党支部が430万、合計2434万を集めている。
嘉友会は陸山会より、240万も多く集めたのか!
05年はどうでしょう。高橋氏は、嘉友会だけで2749万もの個人献金を集めている。これほど多額の個人献金を集める政治家はそうそういない。あの人気抜群・長妻議員ですら、2009年、昭尽会で2626万(政党支部0円)なのですから。さて、小沢氏ですが、陸山会は2532万、政党支部で86万、合計2618万なのです。
嘉信は一郎より、131万も多く集めたのか!
民主党を離党した高橋氏は、2004年以降、無所属となり、企業献金の受け皿となる政党支部を失った。そのため、毎年2千万近く集めた企業献金の一部、特に建設関係の企業献金が、社長名義の個人献金へと変化(笑)したことが個人献金急増の原因だと推測する。
また、05年の陸山会は、小沢氏本人の寄付800万が含まれているので、正確には931万もの差が開いていたことになる。
小沢氏は、かつて「個人献金のほうが、しがらみに縛られるから問題」との趣旨を述べていたように思う。確かに個人献金に注力していなかった印象を受ける。たとえば、陸山会の収支報告には、不思議と地元岩手・水沢など選挙区内の人々からの献金が少ないことからも、そうした小沢氏の気持ちが読み取れるのではないだろうか。
さて、引退し、小沢氏という後ろ盾もなくした高橋氏に、なぜ、これほどの資金力があるのだろうか。議員引退後の04年、05年に集めた個人献金の総額は、小沢氏をも凌駕し過去最高となっている。寄付者の多くは建設関係であろうことから推測し、小沢氏と決別したことで、逆に、当時の政権与党・自民党に接近する形となり、国管轄の公共事業に影響力を行使できる立場になったのであろうか。いろいろと思いを巡らしてしまうのだ。
PARTⅡに続く。