昨日の陸山会事件の判決のニュ-スの内容はかなり酷いものでしたが、BSフジの報道は、他の報道と一味違うものでした
昨日の陸山会事件の判決のニュ-スの内容はかなり酷いものでしたが、
BSフジの報道は、他の報道と一味違うものでした。
その中で解説していました、重要な事は、検察は小沢氏の4億円の原資を解明する証拠をだせなかったが、小沢氏側も明確にその4億円の原資を説明出来ていないので、検察の言う4億円は表に出せないものと推認したと云う事です。
本来は起訴した検察官が、証拠に基づいて有罪を立証しなければならないはずですが、今回は、被告の説明が不十分なので、有罪としたと云う事です。
これは、本当に恐ろしい事です。検察が怪しいと思った人間を逮捕して調べたが、立証できる証拠がないまま起訴して、被告に無実を説明しろと云う事と同じです。
たとえば、放火事件が有って、たまたまその現場を通りかかった人を、怪しいので逮捕したが、本当に放火したと云う証拠がないままその場所にいたと云う状況証拠だけで、起訴し、被告に何故そこにいたのか明確に理由を説明しろと言い、起訴された人は、たまたまいその場所にいただけで明確な理由が述べられないので、裁判所は犯人と推認できると言っている事と同じです。
この様に、起訴した検察が、証拠に基づいて、犯罪を立証する責任が有るはずですが、証拠が無いが怪しいので、疑われて起訴された人が、明確に説明せよと言っている事に裁判所は何の矛盾も感じないのでしょうか。
元検事の若狭弁護士はNHKのコメントの中で 「供述に頼らなくても状況証拠だけで有罪とすることが可能だと示したことは、特捜部は非常に大きな力を得たと言えると思う。」 と述べました。これは誰でも犯人にされ、有罪になってしまうと云う事を言っていると思います。
この事から、この国はどんどん腐って行っている様に感じます。腐っているのでこの様な、陸山会事件や小沢事件が裁判に成ったと思われます。もし、腐っていなければ、誰も相手にしない事件です。これからは、特定の政治家を潰す時に、3人位で裏金1億渡したと言えば良い事に成ります。
また、登石裁判長は小沢氏が東北の工事を仕切って、天の声を出していると、検察の主張を全面的に認めましたが、その証拠を何も言ってはいません。天の声が東北地方の公共工事に絡んで出ていたと推認しているだけです、これも、状況証拠からの推認で、天の声を断定していると思われます。
今日の北海道新聞に江川紹子の記事が載っていましたが、これは共同通信に書いた記事ですので、朝日や多くの地方紙に載った様です。
江川紹子さんの記事と、落合弁護士の記事を転載します。
傍聴の江川紹子さん語る
裁判所の大胆で強気な判断の連続に驚きを禁じ得なかった。東京地裁は6月、
検察側主張を支える供述調書の多くを証拠不採用にした。証拠を排除しながら、判決では 「当然…したはず」「・・・と推認できる」などと推測や価値観で補い、次々と検察側主張を認めた。しかも論理展開は大胆に飛躍する。
例えぱ大久保隆規被告の関与。同被告が収支報告書の作成に直接関与していないことに争いはなく、石川知裕、池田光智両被告が「報告書原案を大久保被告に見せて了承を得た」とする検察側主張を裁判所は判決で退けた。
にもかかわらず、石川被告から土地登記の繰り延ベを不勣産会社と交渉するよう頼まれたことで、小沢一朗民主党元代表が立て替えた4億円の隠蔽まで「意思を通じ合った」と決めつけ、半年後の報告書に虚偽記載する共謀まで認定した。
さらに石川被告から他田被告への事務に関する引き継ぎをもって「石川を通じて他田とも意思を通じ合った」と断定した。そんな証拠はどこにあるのだろうか。法廷で明らかになったのは全く逆の事実。石川被告が自身の選挙の準備で忙しく丁寧な引き継ぎがなかったため、2人の関係は疎遠だった。池田被告は厳しい石川被告を恐れ、満足に問い合わせもできなかった。報告書に記載された金についての認識も食い違う。石川被告を媒介に大久保被告と結び付けられた池田被告は、よほど驚いたのか法廷で目をぱちくりさせていた。
水谷建設から石川被告ヘの5千万円の授受についても、目撃者も裏付け証拠もないまま、同社関係者の証言だけで「あった」と断定した。複数の仲間が「金を渡した」と口裏を合わせれぱ、それが事実になり、事件をつくることができる。
被害者の訴えだけで、逮捕されたり有罪判決を受けたりする痴漢冤罪事件と同じ構図に見えてならない。 冤罪を防ぐため、昨今は痴漢事件でも、手に付着した下着の繊維片などの裏付け証拠が重視される。
今回の判決は証拠重視の時代の流れに逆行していると言わざるを得ない。証拠改ざん隠蔽事件で大阪地検特捜部の元部長らが逮捕されてから約1年検察の独自捜査の問題点が少しずつあぶり出され、検察自身も改革を進めている。取り調べの可視化や客観証拠を重視することで冤罪をなくそうという機運が高まってきたのに「証拠が薄っぺらでも、怪しげな雰囲気さえつくれぱ、特捜部の捜査は有罪認定する」という誤ったメッセージにならないかと危ぶむ。
本当に改革が必要なのは裁判所かもしれない。
元検事の落合洋司弁護士の話
時代逆戻りの判決
直接証拠が乏しい中、判決は「知 っているはずだ」「怪しい」という推測を多用し被告間の共謀関係など重要な部分を認定しており、背筋が凍るような思いだ。推定無 罪が原則である刑事裁判の判決は、被告が無罪になる可能性の芽を丁寧に摘む必要があるのに、考慮した跡が見られない。冤罪(えんざい)を生みかねないこうした論法がまかり通れぱ、安心して社会活動ができなくなってしまう。検察側は満足するだろうが、時代が逆戻りしたような判決だ。判決を慎重に評価すべきだろう。
また、江川紹子@amneris84 さんはツッタ-で次の様につぶやいています。
今日の判決は、小沢氏に関しては10年前の金の出入りについて覚えてないのはおかしいと言い、水谷建設の川村元社長が5年前の裏金渡しの時の交通手段などを覚えてないのはやむを得ないともゆってた。
昨日の判決を是とするメディアは、検察はなぜ西松事件で石川、池田両氏を起訴しなかったのか、なぜ水谷裏金事件を立件しなかったのかと、厳しく批判をすべきでしょう。裁判所があそこまで断言するようなものを、なぜ放置したのか、と。
昨日の判決には、「我々が、この不正な政治家を断罪してくれる!」という裁判所の異様なまでの高揚感があふれていた。それは、ついこの間までの特捜検察を貫いていた「正義感」と全く同質のものだった。刑事司法の原則や証拠や理性より、独特の「正義感」が突出した裁判に、とても違和感を覚えた