ゼネコン幹部が岩手と宮城の違いを仮設住宅の建設状況を根拠に指摘しています
登録 少し前の記事ですが、ゼネコン幹部が岩手と宮城の違いを仮設住宅の建設状況を根拠に指摘しています。
「結局、岩手県は小沢一郎---達増(拓也)知事というコンビで、復興事業を効率よく仕切っているということです。小沢さんが中央省庁に根回し、調整のうえで予算を分捕り、それを"弟子"の達増知事が効率よく配分する。道路や上下水などのライフラインは、業者に丸投げするという緊急随意契約。政治と行政と
業者のトライアングルが、こうした非常時には生きるんです」
達増知事は、外務省キャリアを経て、1996年の総選挙で新進党から出馬して当選。「元祖小沢チルドレン」で、4回、連続当選の後、小沢氏と距離を置いていた増田寛也岩手県知事の4選を阻止するために、07年の知事選に出馬して当選を果たした。
今も小沢氏への忠誠を隠さず、統一地方選での民主党敗北を受けた4月25日の記者会見で、「政治体制を強化するために小沢一郎元代表を要職に起用すべきだ」と述べた。また、小沢派のメルマガである「日本一新」では、もっと踏み込んで、震災復興における「政治主導」の実態を明かした。
がれき処理で関係省庁を糾合、平時なら1年かかる調整を2~3日で終わらせたのは小沢氏側近の樋高剛環境政務官だったという。また、被災地の名簿作成は、「住宅地図と名簿を片手に、一軒一軒あたるという小沢一郎さんに習った選挙手法」でもあった。3月28日に現地入りした小沢氏とは、県と国の予算配分などのアドバイスを受けて、「(小沢氏が)財務省にかなりの影響力を行使しているという印象を受けた」という。
さらに仙台空港を在日沖縄米軍が片付けたのは、やはり「小沢側近」の米津等史元代議士であることを明かすなど、手放しの「小沢礼賛」だった。 それは事実だろう。
岩手県で展開されているスピーディーな利権調整と予算執行に比べた場合の宮城県の"遅さ"を指摘するゼネコン関係者は少なくない。それは達増知事と村井嘉浩宮城県知事との差だという。
「村井さんは業者に依らず、理詰めで政策を実行しようとする。だから自分が委員になっている復興構想会議で、『災害対策税の導入』『水産業復興特区』『東日本エコマリン特区』など、よく考え付くなと思うぐらいいろんなプランを提出する。でも、その構想が実を結ぶのは何ヵ月も先で、しかも議論で終わる場合が少なくない。急がれているのは予算を分捕り、大胆に執行すること。
結局、村井知事はしょせん松下政経塾なんだ、と思ってしまう」(仙台の建設業者)
村井氏は、防衛大を卒業した自衛官だったが、1992年、松下政経塾に入塾、95年に卒塾すると宮城県会議員となり、05年10月の県知事選に立候補して当選、現在、二期目である。テレビなどでの生真面目な表情と発言が印象に残るが、その分、正当な手続きにこだわるということだろう。
どちらが正しいというのではなく、「小沢---達増コンビ」が持つ情報力、人脈、キャリアが大震災という非常時に生き、村井氏にはそれが欠けた、ということだ。