小沢議員秘書の裁判での水谷建設元社長の証言を読みますとこの様な証拠で今まで犯罪を検察が実証して来たかと思いますと本当に呆れました
小沢議員秘書の裁判での水谷建設元社長の証言を読みますと、この様な証拠で今まで犯罪を検察が実証して来たかと思いますと本当に呆れました。
小沢裁判を第1回から傍聴し、報道しています西岡千史記者が書きました要旨を載せます。
小沢秘書公判10回要旨(《THE JOURNAL》編集部 西岡千史)
4月27日10回公判
04年当時の議員会館はスペースが狭く、秘書をたくさん抱える政治家はスペースの確保に困っていたほどだった。そのため、「政界の実力者」と呼ばれる政治家は永田町の近辺に個人事務所を構えていた。小沢氏も議員会館以外に事務所を所有していて、弁護士は、石川氏は議員会館外の事務所で仕事することが多く、議員会館で何度も会ったという水谷建設元社長の証言は信じられない、と主張した。
水谷建設元社長川村氏の証言では、大久保氏に渡したという2回目の5000万円の日付は「4月中旬」という曖昧な日付のまま、最後まで確定されなかった。疑問に感じたのは、川村氏は5000万円を渡した時期について「(大久保氏に5000万円を渡した喫茶店の)レシートで確認した」と証言しているにもかかわらず、日付を特定しなかったことだ。一般的なレシートであれば、レシートの発行日付も書かれているはずだが。
その後、弁護側は水谷建設からの裏金は知人に貸し付けるために私的に流用したのではないかなどと問い詰めたが、川村証言を覆すような証拠は出なかった。
以上で第10回公判が終了。印象としては、川村水谷建設元社長の証言は"陸山会裁判のヤマ場"と言われてきたが、検察側は決定的な証拠を提示することができず、衝撃度は思った以上に小さかった。特に、大久保氏に5000万円を渡したとされる日付は「4月中旬」と語るだけで、日付すら特定しなかったことには驚いた。
おそらく、これまでの特捜事件では、この程度の証言でも「具体的かつ迫真性がある」として裁判所は事実認定してくれたのだろう。しかし、郵便不正事件で大阪地検特捜部の暴走が明らかになり、検察側が描いたストーリーがすべて作り話だったとわかってしまった以上、今回の裁判で裁判官が証人の法廷証言のみで事実認定するとは限らない。言い換えると、陸山会裁判を担当している3人の裁判官が、郵便不正事件で明らかになった特捜部の捜査手法の問題点をどのように評価しているかで、事実認定のされかたも変化してくるのではないか。
また、今日の新聞に5月10日の公判の様子が報道されていましたが、忘れていた事を、検察に指摘されて思いだしたと云う記事が載っていました。しかし、裁判長に川村氏が大久保に大金を渡したという事実を検察官から聞かれるまで思い出せなかったということは本当なんですかと質問は全く新聞の記事に成っていませんでした。
こ事からもこの証言は検察が、証言を誘導したと云う事を逆に明確にしたと思います
陸山会事件「紙袋受け渡し見た」 水谷建設の取引先社長「お金と思った」証言
小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記載)に問われた元秘書3人の公判が10日、東京地裁(登石郁朗裁判長)であり、中堅ゼネコン「水谷建設」の取引先の土木工事会社山本社長が証人として出廷した。検察側は水谷建設が04~05年の2回に分けて小沢事務所に計1億円を提供したと主張しているが、社長は2回目の現金受け渡しの状況を具体的に証言した。
証言によると、05年4月に川村尚・水谷建設前社長と東京・赤坂のホテルに到着した際、川村前社長に「これを渡すんや」と紙袋を見せられた。ホテル喫茶店で元公設第1秘書の大久保隆規被告(49)と面談し、川村前社長は足元の紙袋を滑らすように大久保被告の方へ移した。紙袋を受け取った大久保被告を見送り、川村前社長は「税金みたいなもんや」と話した。社長は「お金を渡したんだと思った」と振り返った。
4月27日の公判に出廷した川村前社長は、胆沢ダム(岩手県奥州市)の関連工事を受注するため、04年10月に元秘書の衆院議員、石川知裕被告(37)に5000万円、05年4月に残り5000万円を大久保被告に渡したと証言。大久保、石川両被告は授受を強く否定している。
川村前社長の証言を補強した社長に対し、弁護側は「東京地検の聴取を受けた当初は記憶があいまいだったのではないか」と信用性をただした。社長は「(検事に)記憶喚起されるうちに思い出した」と応じた。
しかし、最後の裁判長の尋問では次のようなやり取りが行わなわれました。
山本氏に対して裁判官が川村氏が大久保に大金を渡したという事実を検察官から聞かれるまで思い出せなかったということは本当なんですかと。
そのような事がしょっちゅうあれば別ですがと問われてそんなことはありませんと答えていました。
それも川村からはっきりお金と言われたわけでなく茶色の封筒が見えていたということでの推測であり帰りの新幹線で税金みたいなものと言っていたとの証言のみで推測しているのです。
裁判官がおかしいと思うのは当たり前の事です。そのような現金授受場面を忘れていたという事は普通ありえるでしょうか。
そして記憶がその場面だけ鮮明になってきているのもおかしいと思うのは当たり前です。