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GE元技術者は最初から欠陥原子炉と指摘していましたがその指摘は完全に正しかったと事が解りました

福島第一原子力発電所の状況について、GE元技術者は最初から欠陥原子炉と指摘していましたが、メルトダウンや早期に空焚きになっていたことが明らかになって、その指摘は完全に正しかったと事が解りました。
5月18日(水)12時10分 福島第一原発の1号機では、燃料が溶け落ちるメルトダウンが起きていることが明らかになり、2号、3号機についても、「メルトダウンが起きていると発表しました」。底に固まっている燃料に十分に水が届いていない可能性が高く、この状態が続いた場合、燃料が発する高熱によって、圧力容器の底が抜ける可能性がある「深刻な事態だ」と思われます。

 この話も3月21日時点のアレバの資料(参照)を読むとわかりますが、1号炉は2700℃に達した可能性が書かれています、当然この温度なら圧力容器は溶けると想定してよいはずでした。
 ようやく事故時点の状況が報道されるようになりましたが、一番人々を不安にさせる事は福島第1原発の事故直後の新事実が明らかに成った事です。
その時の記事が次の様に書かれています。
 福島第1原発に夕暮れが近づくと、技術者たちは取り外した車のバッテリーを使って臨時装置の電力とし、原子炉の中で何が起こっているのか解明しようとした。午後9時21分には危険なサインを発見した。1号機の水位が急激に下がっており、燃料棒がいまにも露出しそうだった。
 冷却装置がなければ水は沸騰し、炉内の圧力が高まる。沸騰した水の量が増えれば、燃料棒は溶け出し、空気に触れて反応する。そして、放射性物質を放出し、爆発を引き起こす危険がある水素ガスができる。
 午後11時頃、最初の発電用トラックが到着した。東京の首相官邸では歓声が上がった。 これで発電トラックが機能すると思われたのだろう。
 だが、喜ぶのはまだ早かった。発電所の損傷したメインスイッチに、発電機をつなぐことができなかったのだ。ケーブルの一部が短すぎて、発電所の別の部分まで届かなかった。津波警報も発せられ、作業員は高台に避難しなければならなかった。最初の24時間のうちに接続できた発電機はわずか1台だったことを、東電の資料が示している。
 真夜中には、1号機の格納容器内の圧力が、設計時に想定された最大レベルをすでに50%超えていた。放射能レベルが非常に高かったため、東電の清水正孝社長は作業員に建物からの退避命令を出した。
 関係者によると、大胆な手段を取る必要があることが、東電と政府の目に明らかになってきた。すなわち、格納容器が圧力で破損する前に、原子炉内の蒸気を放出しなければならない。

 蒸気放出にはリスクがあった。蒸気は放射性物質を含んでいる可能性があり、近隣地域に危険を及ぼす。だが放出しなければ、容器が壊滅的に破壊される危険が非常に大きかった。菅首相と海江田万里経済産業相は、午前1時半頃、公式に蒸気放出を認めた。
 
その後何時間も続いたのは、情報の行き違いや混乱だった。3月12日午前2時45分、東電は原子力安全・保安院に1号機の格納容器内の圧力が想定最大レベルの倍になっているようだと伝えた。
 
それでも、蒸気放出口は閉じられたままだった。首相官邸から、海江田経済産業相は東電の経営陣に1時間ごとに電話をし、進捗状況を尋ねた。午前6時50分、海江田経済産業相は蒸気放出を命じた。だが、実行はされなかった。
 
東電が公表したところによると、3月12日朝のこの時点では、1号機の核燃料はすでに溶け落ち、容器の底に積み重なっていたと思われるという。

 翌日の3月12日の朝には、現在メルトダウンと呼ばれている完全コアメルトになっていた。
 政府関係者らはいま明かす。東電で蒸気放出を決定するのに長い時間がかかったのは、放射性物質を放出すれば事故の重大さが急激に高まると考えられたからだと。
東電はなお、蒸気放出をせずに事故を収束させたいと考えていた。なぜなら、大気中に放射性物質を放出すれば、福島の事故は世界最悪のものとなり、チェルノブイリと並んでしまうためだ。
 
これに続く記者会見と国会証言で、東京電力の清水社長は、時間がかかったのは周辺住民の避難への懸念と技術的な問題のためだと述べた。この件に関して、清水社長からはコメントは得られなかった。東電の内情としてベントなしで事態収束ができると想定していたというものである。

しかし、東電の公式アナウンスでは、住民退避猶予と技術としている。この部分についての真相は明確には読み取れない。

かなり遅れたものの、安全弁はまだ開放が可能だった。問題はこうだ。通常、それは制御室で電動か圧縮空気で開閉するが、いずれのシステムも機能していなかった。
 その結果、高い放射線量の建屋内で作業員が安全弁を手動で開放しなければならなかった。

 ポイントはベントの制御が制御室から可能ではなかったという点にありそうだ。
 
政府はあまりに狼狽し、東電にベントを命じた。しかしその時ですら、原子炉制御に関わる政府関係者によれば、東電幹部は熟慮し続けた。討議は白熱し、東電原子力事業部門の武藤栄副社長と福島第一原発・吉田昌郎所長は怒鳴り合った。

吉田氏は即刻ベントを望んだが、武藤氏はベントが機能するか懐疑的だった。「ためらい、議論、何をすべきかについての混乱がそこにあった」

 私もずっと疑問だったのだが、ブラックアウト後の1号炉のメルトダウン過程は2号炉、3号炉より早い。1号炉には特殊事情があると見てよいのだが、そこがよくわからなかった。

現状では、枝野官房長官が「報道で初めて知った」とされる1号機非常用冷却装置の手動停止(参照)がその原因に関係するのではないかと思われる。が、それにしても別の見方をすれば、いずれにせよメルトダウン過程が遅れた2号炉、3号炉でも結局は1号炉と同じ過程を辿っている。1号炉にベントの遅れがあっても、2号炉、3号炉で遅れがなければ間に合ったのではなかったかという疑問が残るが、現実はというと、1号炉の特殊事情があっても、結局全炉揃って同じプロセスとなった。

ベント機構は制御室から操作するように設計されているが、操作は失敗した。理由は緊急用電源が切れたことだろう。弁は手動でも開くが、東電の記録によれば、この時点で1号炉のベント機構付近は作業員が接近不能なほど放射線レベルが高かった。
2号炉でも作業員が手動で安全弁を開こうとしたが、反応炉内の圧力は下がらず、記録からはベントの可否は不明となった。3号炉でも手動で弁を開こうとしたが、記録によれば、開かなかった。ベントの失敗は悲惨なものになる。

 緊急時にはベントそのものがそもそも無理だったという評価も成り立つようだ。
 ということは、この原子炉、つまりGE製Mark Iがそもそもブラックアウトといった緊急時には対応できない欠陥品だったのではないかという疑念が出てくる。
 この点についてだが、ニューヨークタイムズは福島第一原発が改良ベントを装備したうえで、なおこの欠陥の指摘をしている。
米国高官は米国のこの種の反応炉は、新式の強固なベント機構があるので、日本のような惨事にはならないと早期に言ってたものだった。しかし、この設備を運用する東電は現状、福島第一原発は同種のベントを数年前に装備してあると述べている。

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