原発安全神話は神話の世界で現実の 安全はただの安全ピンにすぎません
北海道新聞 論説委員室から「風」と云う欄に掲載されました「安全神話」という神話を転載します。
この論評は現在の日本の状況を的確に表現し、また今後の日本にとって一番大事な事を述べていると感じました。
北海道新聞2001年4月18日 風
「3・11」を境に、ニッポンをめぐる見方が国内外で大きく変わった。信頼の喪失が大きい。
崩れた価値観の代表格が「安全神話」だろう。
崩壊は過去にもあった。
墜落しないとされたジャンボ機、品質第一だったのに中毒を起こした「食」、
正確な時間運行に固執したゆえに破滅的な事故を起こした列車、つぶれないはずの巨大銀行。
いずれも安全をうたい信じられた。でも神話のべールをまとったのはなぜだろう。
福島第1原発で「原子の火」の暴走が止まらない。科学者が四重五重の防御システムと強調してきたものが、東日本大震災による相次ぐ「想定外」で制御できないままだ。
巨大な津波、冷却機能の喪失、炉心溶融、水素爆発、放射性物質の飛散…
東京電力幹部や権威とされる科学者は「予想を超えた」 「不明を恥じる」と繰り返すが、いずれの可能性も過去に指摘があった。
それらは態定外とはいえない。異端を排除し結束する産学官の専門家集団、
いわゆる 「原子力村」の人々が態定しようとしなかったのではないのか。
自らが数値化した安全のべールで覆い、不安と不信に対応したことが安全神話の基にもなった。
「誤った確率論は、危険な安全神話を生む」
ノンフィクション作家の柳田邦男さんが、1979年のスリーマイル島事故を取材し、著書「恐怖の2時間18分」でこう指摘したのは、30年近く前のことだ。
1986年には史上最悪のチェルノブイリ事故もあった。
それなのに私たち自身の心の片隅には、米国や旧ソ連では起きたが「曰本では大丈夫」という油断はなかったか。
10年余り前、ある報告書が次のように警告した。
「原子力の『安全神話』や観念的な『絶対安全』という標語は捨て、事故は起こりうるもので『絶対安全』から『リスクを基準とする安全の評価』への意識の転換がいる」
これは、反原発の立場からの言及ではない。国の原子力安全委員会が設置した事故調査委員会のものだ。
99年に茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所で作業員2人が死亡、住民ら660人余が被ばくした国内初の臨界事故に対する最終報告の一節である。
安全神話への警告は何度もあったのだ。
「ツナミ」と並んで、悲しい国際語になった「フクシマ」。この事故を機に私たちも変わるだろう。
道内電力の4割を支える泊原発は、津波の最高水位を9・8mと想定する。
今なら専門家がどう説明しようとそれを超えたらどうなる、どうすると誰もが問える。チェルノブイリ級の「レベル7」が国内で現実となりもはや素直には納得できない。
生活のあり方も見直されるに違いない。「エコ」 「クリーン」と勧められている電力依存の住宅。高齢化の心配などから「火」が追放され電磁誘導加熱(IH)に置き換わった台所。
自然エネルギーの利用が十分ではない現状では、その支えは二酸化炭素を出さず安全とされた原発である。
安全という言葉は肯定的な響きがあり、危うさをまひさせる魔力も秘める。
脚本家の向田邦子さんは工ッセー「安全ピン」の中で、安全運転、安全地帯、安全カミソリも例に挙げ、「どこかうさん臭い」とした、一文が印象に残る。
「安全ピンはやっぱりピン なのだ」
安全に絶対はありえない。3.11が示す教訓と重なる。