尖閣映像流出問題を別の角度から、考えてみました
尖閣映像流出問題を別の角度から、考えてみました。
私自身は、当初から政治判断で公開すべき映像と考えていましたので、ハッカ-集団が行った、情報の公開と思い、称賛していましたが、中国漁船衝突事件の映像を流出させたのが、神戸海保の海上保安官で、海保に名乗り出る前に、読売と連絡をとっていた後に、海保に名乗り出た事が理解できません。
何故なら、偽名でネットカフェからユ-チュ-ブに流し、履歴も消去したと云う事は、当初はあくまで、正体不明のままに、流出させておきたかった意図を感じます。
それが、突然何故名乗り出たのか、全く理解できません。
映像は、国民に知らせなければならないと云う、情報で発覚した時の処罰など考えることなく、堂々と自宅、から発信したのなら、義憤を感じてやったと云う説明もうなずけます。
しかし、少々疑って考えてみますと、最初は誰がやったか解らない方法をとっておきながら、世論が公開した事に同調する事を感じとって、今なら名乗り出ても殆ど罪にならないと思って出て来たか、あるいは読売や自民党からの後々の保障が得られた為に出て来た様に思えます。
また、映像内容が公開されて国民の多くがどの様にして、故意に衝突させたと云う事が解ったのは、良かったと思いますが、肝心のほぼ軍隊と同様の組織の一員が、情報を共有できたからと云って、指揮官の命令に反して情報を流す事は重大な犯罪行為と思います。流された事実の重大さかどうかは、その事に全く関係が無いと思います。私としては、最後まで名乗り出ず誰が流出させたか解らない様にしてほしかったと思います。
義憤に駆られて、行動したと云う事に成れば、軍事的な実力部隊の統率は壊滅してしまうと思います。
今回の様に情報がたとえ共有されていたとしても、映像の流出が許されるわけではないと思います。また危機管理と政治判断が全く機能していなかった事も決して忘れては、ならない事だと思います。
尖閣映像流出 綱紀の緩みは明らかだ(11月17日北海道新聞社説)
明らかになったのはずさんな情報管理の体制と、綱紀の緩みである。 尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件の映像が流出した問題で、警察と検察は名乗り出た神戸海保の海上保安官の逮捕を当面見送る方針を決めた。 捜査当局は国家公務員法(守秘義務)違反容疑で任意の捜査を続けるという。動機や流出の経緯などについてさらに解明してもらいたい。 仮に逮捕が見送られたとしても、内政や外交にかかわる政府の重要な判断を現場の一国家公務員が独断で破る行為は許されまい。 まして海保は武器を保有する治安機関だ。規律の不徹底は由々しいことである。どこに問題があったのか、政府は司法判断の行方とは別に責任の所在を明らかにすべきだ。 保安官が疑いを持たれている守秘義務違反とは、国家公務員が職務上知りえた秘密を漏らす行為を指す。しかし今回は肝心の映像が「秘密」に当たるのかという疑問があった。 映像は海保内のネットワークを通じ一時期、広島県の海上保安大学校の共有フォルダーに置かれ、多くの海保職員が閲覧できる状態だった。 厳重に管理していたという海保の説明とはほど遠い。そのことが悪質性が低いとの見方につながった。 一方、那覇地検は巡視船と衝突した中国漁船の船長を処分保留のまま釈放した。保安官を逮捕して刑事罰を問えばバランスを欠くとの指摘も捜査当局内にあったという。 逮捕見送り方針は、こうした議論も踏まえた苦しい判断といえよう。 流出の背景に海保による情報管理の甘さがあったことは否定できない。同時に、今回の問題はIT時代の教訓とすべき点を含んでいる。 これまでの調べによると、保安官は巡視艇内のパソコンにあったデータを小さな記憶媒体USBメモリーに取り込んで持ち出し、ネットカフェから発信したとされる。 国際関係を揺さぶりかねない情報さえ、だれにも気付かれずに簡単に世界に拡散させることができる。ネット社会の怖さである。 問われているのは、そうした時代に対応した情報保護のあり方だ。チェック体制などシステムの再点検を急がなければならない。 とはいえ情報管理の徹底と、秘密保全のための罰則強化を混同することがあってはならない。 仙谷由人官房長官は「国家公務員の守秘義務違反の罰則が軽く、抑止力が十分でない」と述べ、罰則強化を検討する方針を表明した。 問題は政府の情報管理の不備と組織の緩みにある。直ちに罰則強化を持ち出すのは、責任を避けるための論理のすり替えである。