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大手メディアには推定有罪の原則しか無いようです

大手メディアには推定有罪の原則しか無いようです。
大手のメディアは 建前として「推定無罪」の原則を述べていますが、検察審査会が議決した裁判で決着すべしという検察審査会の趣旨に反して、「起訴=罪人」という従来からの方針から脱却出来ない様に見えますが、実際は論理以前に小沢氏を排除したいのが本音です。

各紙の社説は、小沢氏に対して、自発的な議員辞職ないし離党といった引責を勧告している事を見れば良く解ります。
 たとえば、『読売新聞』(10月5日)の社説は、大手紙の中では表現がマイルドですが「刑事被告人になりながら、従来と同様に政治活動を続ければ、国民の政治不信は増幅されよう。刑事責任の有無とは別に、その政治的・道義的責任は重いといわざるをえない」と述べています。
 しかし、刑事被告人と悪人は同義ではありません。今回検察審査会は、嫌疑が濃厚だと判断したが、裁判の場で黒白をつけるのが適当だと言っているのであって、小沢氏の有罪を断定したわけではありません。
 また、より重要なのは、検察審査会では新聞社が知らなかった新たな事実が出たわけではないことです。読売以外の各紙も含めて、小沢氏に「責任を取れ」と言うなら、自ら取材した事実に基づいて、根拠を示すべきです。事実に変化がないのに、いきなり責任論を語り出すメディアは、小沢氏を排除したいと云う思惑だけで、記事を書いているとしか思えません。
 各紙は、結局、小沢氏を政治的に退場させたいという思惑と、起訴の段階で刑事被告人を悪人扱いして報じる従来からので推定有罪から脱却できずに、「十分疑わしきは、裁判で決定すべし」という検察審査会の常識的論理を無視して、社説などを書いています。
 奇しくも、無罪となった村木氏の事案を通じて検察に絡む問題が噴出していますが、「起訴が直ちに有罪を意味するのではない」という当たり前の原則をメディアは再度確認すべきではないかと思います。
政治家や官僚など権力者に対する批判を、取材した事実に基づいて行うことは悪くありません、それこそが、本来、メディアに期待される役割です。
それは、事実は自らの取材の責任において述べるべきもので、事実の保証を検察に求めるのは筋違いです。現在の様なメディアの行動は、村木氏の事件のように検察の暴走を後押しする危険があります。
小沢氏は、 自らの潔白を主張しているのですから、今回の検察審査会の議決によって身を引くことは、自らの主張と矛盾してしまいます。
  民主党は、野党の要求に応じて、小沢氏自身による説明、あるいは公判の判決を待たずして、小沢氏の除名を決めたり、離党を勧告したりすることは、論理的にもおかしく、検察審査会の議決趣旨にも反する行為と思います。

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