小沢事件の最初の西松事件で大きな役割をはたした内閣官房副長官・漆間巌の正体は
小沢事件の最初の西松事件で大きな役割をはたした、内閣官房副長官・漆間巌の正体は、公務員制度改革には最も消極的な人と云う事でした。
漆間は公務員制度改革に対して官僚の天下りを抑制することには強く反対し、漆間は「天下りしてどこが悪い」と発言していました。
もともと漆間という人物は愛知県警の裏金問題の時の愛知県警本部長で会計検査院が入ってきたときに問題化させずにうまく収めたことの功績が認められて警察庁長官になったというそういう略歴のある人物です。
また、「自民党には捜査は及びません。」と東京地検特捜部の捜査の進展状況を、自信を持って断言したために、(西松建設の違法献金事件で「自民党側は立件できない」と発言した政府高官について、河村官房長官はフジテレビの報道番組で、この政府高官が元警察庁長官で官僚トップの漆間巌官房副長官だと明らにしている)
「小沢民主党党首秘書逮捕事件」の風向きが逆転してしまったのではないかと思わせるほどの激震が永田町周辺を駆け巡りましたが、その「失言」をしてしまった内閣官房副長官・漆間巌の人物の正体は、意外に知られていません。
内閣官房副長官とは、かつては田中内閣の後藤田正晴や、小泉内閣の石原信雄、古川貞二郎各氏等が勤めました、官邸と官僚を結びつける官僚事務方のトップという重要な役職ですが、
麻生内閣の内閣官房副長官・漆間巌氏の存在は、東京地検特捜部が、派手なラクダのコートを靡かせるという、きわめて田舎芝居がかった姿で開始した西松事件の「大捜査線」に対する「失言」でクローズアップされるまで、ほとんど注目されることは有りませんでした。
しかし、今回の「小沢元民主党党首秘書逮捕事件」を解く鍵を握っているキーパーソンの一人が、この事件の物語の筋書きを書いた作者の一人が、麻生内閣の内閣官房副長官・漆間巌氏でした。
東シナ海の不審船問題の処理等で、当時、警察庁警備局長だった漆間巌に最初に注目し、密かに接触した上で、意気投合した政治家が安倍晋三元首相(当時官房副長官)です。
北朝鮮、朝鮮総連関係に詳しい漆間巌は、以後、安倍晋三元首相の権力を後ろ盾に出世していきました、安倍政権時代は警察庁長官を勤め、安倍晋三元首相と親しい麻生政権になって、「内閣官房副長官」に抜擢されました。
麻生政権における漆間巌の役割は、彼が警察官僚出身であり、警察や検察に強い影響力を持つ元警察庁長官であるということと切り離せない事です。元来は、「内閣官房副長官」としての漆間巌氏の役割は、官僚の天下りや渡り等をめぐる公務員制度改革にあるはずなのでしたが、彼は公務員制度改革には不熱心で、テレビ出演して公務員制度改革を反対した人事院総裁の反撃を押さえ、説得する立場の人でしたが、逆に漆間巌氏は、公務員制度改革を妨害する存在に成っていました。
麻生元首相は、何故、漆間巌氏を切らなかったのでしょうか。それは、麻生首相が、漆間巌氏に期待する役割が別にあったからです。その役割は、警察や検察と組んで、何かを試みることでした。
今回の「小沢民主党党首秘書逮捕事件」を企画立案し、麻生首相の了解の下に、東京地検特捜部を動かし、密かに指揮したのは「漆間巌」であります。漆間巌氏が、「自民党には捜査は及びません。」と言った事は、それはあまりにも正直に、自ら仕組んだ「国策捜査」の実体を暴露したものと言うべきでした。
漆間巌氏を麻生元首相に紹介し、推薦したのは安倍晋三元首相ですが、さすがに安倍晋三元首相と言えども、東京地検特捜部を使った「国策捜査」によって政敵をつぶし、政権を維持するなどというような「悪の政治学」に手を染めるようなことまではしませんでしたが、麻生首相は、小泉政権時代の「悪の政治学」の誘惑に呑み込まれ、麻生元首相も小泉純一郎元首相と同様に、どのようなダーティな政治家でさえも、さすがにその一線だけは踏み越えなかった、「国策捜査による政敵潰し」という「悪の政治学」に手を汚した政治家と成ってしまいました。
能力も人望もない卑小な政治家が国家のトップに立つと、いつでもこういうことになるということを、われわれ国民は知るべきであります。いつのまにか日本と言う国は、戦前の「治安維持法・国家」をも上回るような、言い換えればヒットラーやスターリンもびっくりするような、恐るべき「警察国家」「検察国家」「謀略国家」になってしまった感じです。
東京地検特捜部などという「国家の暴力装置」に依存しなければ、政権の維持もできなければ、また、たとえば内閣支持率が最底辺まで下落したような場合に、自らの判断で潔く「身を退く」ことも出来ないような、そういう卑小な政治家と、「正義」を勘違いして、敵と味方を取り違えて、国民を敵視し、弾圧する「警察・検察という暴力装置」を、国民の手で追放し、解体するしかないと思います。