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木村剛氏は小泉政権時代2002年には金融庁の顧問で検査マニュアルを作った人

木村剛氏は小泉政権時代2002年には金融庁金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム(通称竹中チーム)のメンバーを務めその後金融庁の顧問に就任し、金融庁の検査マニュアルを作った人です。
木村容疑者は東大経済学部を卒業後、日銀に入行。小泉純一郎政権下の平成14年、金融庁顧問となり、竹中平蔵金融・経済財政相(当時)のブレーンとしても活躍した。2005年に実質的な創業メンバーとして同行を開業。中小企業向けの無担保融資を展開して注目を集めたが、2010年3月期決算では赤字に転落。木村容疑者は5月10日、会長職を引責辞任している。
また日本振興銀行の設立に携わり、社長に就任している2003年2月12日、(社)東京青年会議所(東京JC)が第一ホテル東京で開催した例会で、パネリスト木村剛氏が「20億円集めれば銀行をすぐに作れる。」と発言したことをきっかけに、東京JC入会希望者として出席していた消費者金融の資金元である卸金融を手がけていたノンバンク「オレガ」の落合伸治が20億円用意し、木村にアドバイスを受け「中小新興企業融資企画株式会社」を設立して銀行設立準備に入った。
また、2003年度東京JC理事長の平将明も銀行設立計画に賛同し、さらにJC会員約90人から1億円が集められた。同年8月20日に予備免許申請が金融庁に受理され、同日夕刻、落合、木村、平の3人が「日本振興銀行設立」記者会見を行った。以降、新聞や雑誌など多くのメディアで「東京JCが新銀行をつくる」と事実に反する報道がされることとなり、東京JC事務局にはOBからの苦情や一般からの問合せが殺到した。2日後の8月22日、平は「公益法人は営利企業の設立はできない。個人の立場で記者会見に臨んだ」と東京JCメルマガを通じて見解を明らかにした。
その後、設立資金20億円出資者の設立発起人で社長に就任していた落合は、木村や平を含む役員らに銀行役員を解任され、木村を告発するなどゴタゴタが続いた。平はその後、銀行設立の経歴を利用して2005年9月11日総選挙の自民党公認候補選考に応募し、小泉チルドレンとして東京4区から出馬し初当選した。
しかし、「債務者の気持ちが分かる金融が必要」と中小企業救済を目指して日本振興銀行の設立を宣言して7年。小泉政権時代に金融庁顧問も務めた同行前会長、木村剛容疑者(48)が銀行法違反(検査忌避)容疑で警視庁に逮捕された。自他ともに認める「金融のプロ」がすべてを支配していた「木村銀行」。逮捕容疑は、かつて自らも作成に携わった金融検査マニュアルに基づいた検査への妨害だった。
 木村前会長は98年に35歳で日銀を退職後、金融監督庁(現・金融庁)の金融検査マニュアルの検討委員を99年まで務めた。その後、金融と企業財務の総合コンサルティング会社を設立すると、不良債権問題の論客として、頭角を現した。日銀時代からの著作や共著はビジネス分野の月別ベストセラートップ10の常連で、経営不振企業を実名で列挙した「大手30社リスト」の作成者とされ、一躍注目を集めた。
 大きな転機は竹中平蔵金融担当相(当時)に抜てきされ金融庁顧問に就任した02年だった。任務は大手銀行が抱える不良債権の抜本処理を目指す「金融再生プログラム」の策定だった。その発言力は大きく、木村前会長が不良債権処理のプロジェクトチームのメンバーに起用されたとの情報が流れると、銀行株を中心に株価がバブル経済崩壊後の最安値を更新するほどだった。
 「債務者の気持ちが分かる金融が必要。中小企業に必要な資金を供給する」。2003年8月に日本振興銀行の設立を発表し、05年には社長に就任した。同年6月に会長になるとブログで「12年には1兆円の金融グループになる」と豪語したが、09年3月には商工ローン大手「SFCG」(破産手続き中)から買い取った債権の二重譲渡問題が発覚。今年3月期決算の純損益が51億円の赤字となり、引責辞任に追い込まれた。
 金融庁顧問に就任前、毎日新聞の取材に「(不良債権問題は)個別銀行に任せておいては片づかない。金融当局が強権を振るう形で一斉査定するなどのプロセスが必要」と述べていた木村前会長。強く主張した金融検査に自らつまずいた形となった。
 ある捜査幹部は「振興銀行は木村前会長の個人商店。木村銀行だった。検査忌避は木村前会長の了解なしにはあり得ない」とみる。経済ジャーナリストの須田慎一郎さんは「素人でもやらないような検査忌避をしたとするならば、金融のプロという自負と金融庁顧問をしたおごりがあったのでは」と指摘する。
 
またSFCGの経営が変調をきたし始めたのは、改正貸金業法が施行された2007年末ごろから。過払い金利の返還請求が全国的に広がり、貸金業者の経営を大きく圧迫していった。 SFCGもいずれ資金繰りに窮するとみた米金融大手リーマン・ブラザーズ(08年9月に破綻)は、約734億円の融資の回収を迫る。リーマンへの返済資金を捻出するため、SFCGは貸出債権を売却していったが、その債権を買い取ったのが振興銀である。 振興銀は07年11月、SFCGのグループ企業であるJファクター(破産手続き中)から51億円、同12月にSFCG本体から160億円、08年3月にJファクターから55億円、同5月にSFCGから100億円の債権を買い取った。

2008年9月にリーマンが破綻。SFCGのリーマン向け債権は約53億円まで減っていたが、ほかの外資系金融機関は一斉に回収に入った。
 経営続行は困難と判断した大島容疑者(当時は会長)は“資産隠し”に奔走。自分の月額報酬を9700万円に引き上げ会社のカネを吸い上げる一方、貸出債権や株券などSFCGの資産約2670億円相当を親族企業などに無償、格安で譲渡した。これが詐欺再生や会社法違反(特別背任)にあたるとして警視庁に逮捕された。
 その間も毎月、債権を買い取り、SFCGのカネづくりに協力していたのが振興銀だ。09年10月289億円、11月169億円、12月279億円、破綻直前の10年1月に179億円を買い取った。
 「振興銀は債権の買い取りだけでなく、SFCG社員の雇用の受け皿にもなり、SFCGの元社員が振興銀に中途採用された。彼らがSFCGで鍛えられたのは、顧客の売掛金を回収する手法。振興銀に転職した彼らは顧客の返済が滞ると、売掛先に通知して売掛金を押さえる手法を使った。そのやり方はSFCGそのもの。振興銀は、日本最大の商工ローン業者になったといわれた」(金融関係者)
 その振興銀もSFCGに一杯食わされる。同社は振興銀に売却した債権を信託銀行4行にも譲渡していたのだ。
 二重譲渡された債権の帰属をめぐり、振興銀と信託銀側は対立。今のところ、信託登記の日付が先行している信託側が優位といわれている。
 SFCGから譲渡された債権の帰属をめぐり、信託銀側と法廷闘争中の振興銀が負ければ、これまで回収してきた元利金を信託銀側に返還しなければならない。そうなれば、振興銀は自らの事件もあって「存亡の危機」を迎えることになる。

振興銀は2007年ごろ、SFCGから中小企業への貸出債権を買い取り、債権を回収するビジネスを開始。しかし債権の多くが回収不能となり、2008年末から2009年1月ごろの間、SFCGから約100億円の債権を買い取り、1カ月後に買い戻す契約を結んだ。
 この取引で振興銀は3億円超の「手数料」を得たとされるが、金融庁は債権買い取りが事実上の融資で、収入分は金利にあたると判断。上限金利(29・2%)を上回る実質金利(45・2%)を得た出資法違反の疑いがあるなどとして、5月に一部業務停止命令を出していた。
振興銀に対する行政処分では(1)上限金利の29・2%を上回る実質年率45・7%もの高金利を受け取った出資法違反の疑い(2)融資先企業の取締役の過半数を同行が推薦した人物で占めることを融資の条件とした銀行法違反(優越的地位の乱用)-も認定されている。
 処分を受けて会見した振興銀の西野達也社長は「(指摘された行為を)認識していなかった。管理や指導が甘かった」と問題があったことを認めていた。くしくも、振興銀が銀行法違反(検査忌避)容疑で警視庁の家宅捜査を受けた5日後の6月16日、SFCG創業者で元会長の大島健伸容疑者(62)が民事再生法違反(詐欺再生)などの疑いで同庁に逮捕されてしまった。

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