報道はドラマの様に仕上げる必要は有りません
先日の党首討論の報道は鳩山総理が自分を愚かだったと認めて、それを聞いた谷垣総裁が呆れ返った場面だけを切り取って繰り返し各社が同じ報道をしていました。しかし、何時ものようにこの党首討論のほんの一部を切り取った愚かな報道だった事を、党首討論をすべて見て明快に解説しているブログがあります。その内容は『確かに私は愚かな総理かもしれません、と言ったのは、これだけ長い答弁の出だしの部分であって、そのあとには、沖縄の人たちの長年の思いを無視して、自民党のように強引に辺野古に決めていれば、こんなに苦労することはなかったという主旨の言葉が続いてるのです。この論法を分かりやすく解説すると、まず、ワシントンポスト紙に書かれているように私は愚かかもしれないといった言葉で相手の批判を受け入れた形をとっておいて、そこから、愚かでなければ民意を無視して辺野古に押しつけるという楽な方法を取っていたと云う意味の自民党に対する皮肉を織り込み、そして、こうした手段を選択しなかった私を愚かだと言う人もいるかもしれない。でも私はそうは思わなかった。何故なら、民意を無視して辺野古に押しつけても、この先、何年間も工事に着手することができずに、一見、良くなったかに見えた日米関係も、結果的には悪くなってしまうからだ』と解説しています。切り取り報道はマスコミの何時もの手段ですが、直ぐにネットではマスコミの無能と恣意的な報道が明らかなされる時代に成りました。この様な報道を続けているテレビ新聞はやがて、娯楽だけのメデアに成ってしまうと思います。もしこの様な党首討論を報道する時は、切り取り貼り付けの姑息な手段を使わず、二人の討論を要約して的確なに報道するべきです。ドラマの様に仕上げる必要は有りません。