政治テロに屈するな―いま日本が置かれた歴史的危機の現実を見よ
和の国・日本 様のコメントがあまりにも素晴らしいので、転載させていただきます。
西松献金事件は、政府・与党・マスコミなど国家権力の手で、国民の関心をすり替え・逸らす政治テロの役割を果たした。これに対し、民主党の企業団体献金の全面禁止提案と、外部有識者の調査検討は妥当な対応だ。そして小沢代表が進退を、政権交代を基準に判断する姿勢は、政治家の真骨頂と言える。
だが問題の核心は、民主党を含め世論が、小沢タタキの政治テロを見抜けず、受け身で対応していることだ。続投後も続く小沢タタキに、少なからぬ人々が代表の辞任・交替で、政局を打開できると考えるのは幻想である。小沢が辞任すれば、政権交代の途が絶たれ、投票率の低下で民主党は敗退し、日本の未来は希望を失うだろう。
小沢代表就任前の民主党が、目に浮かぶ。小沢の進退で、政権交代を論ずる人々は、総理の顔をすげ替えた自民党から何を学んだのだろうか。政治とカネが焦点とされているが、政治家が問われるのは、国の舵取りという政治的な識見や行動だ。
小沢一郎は、対等な日米外交、国民生活第一、地方主権を掲げ、政権交代で日本のチェンジの先頭に立ってきた。小沢が代表になってから、日本の政治に希望が生まれ、参院選の与野党逆転、世論調査で小沢支持が麻生を追い越した。それは、世界経済危機・日本の政治・経済・社会の精度疲労が進み、国民が中央集権国家のチェンジを民主党に期待したからである。
小沢の選挙手腕は、多くの認めるところだ。だが中東の海上給油問題、第七艦隊発言、クリントン国務長官・マケイン上院議員との会見、国連重視外交や、国民生活優先・地方主権、戸別所得補償などの内政、彼の政治戦略こそが、国の舵取りを担う政治指導者に必要なのである。オバマのアメリカと並んで、日本の舵取りを担う政治家は、与野党を問わず小沢以外にいるだろうか。
政治とカネが批判されるのは、血税を費やす公共投資・防衛費などを廻る、政治家と企業の癒着からである。小沢タタキは、政治資金の額の多さや、悪質性を理由にしている。また田中角栄・金丸信を引き合いにして、小沢に古い政治家のイメージを上乗せしている。
だが額の多さや悪質性の判断基準は、司法や社会通念だけでよいだろうか。政治は、予算の執行で、国民経済や社会に影響を及ぼす。アメリカ発の世界金融危機で、日本のGDP低落は欧米に比べ突出し、公的債務は、数百兆円に達している。政治資金の額の多さや悪質性は、こうした現実を招いた政府・与党の政治的責任と、どちらが重要だろうか。
田中角栄のロッキード事件も、結局裁判では結論がでなかった。その列島改造論は、負の影響を与えたが、日中国交回復への貢献は讃えられて良い。戦争末期の官憲は、大戦の終結に動いた吉田茂を逮捕拘留した。石橋湛山は、総理辞任後周恩来と冷戦終了を求め会談している。
また政治とカネで、使途の透明性や説明責任が語られている。だが日本のオバマが期待される政治。この時期に、検察の強制捜査を容認した政治責任こそが、企業の政治献金の当否を超え、主権者である国民に対し明らかにされねばならない。検事総長の国会喚問を始め、経済・社会・政治の危機と政治テロがもたらす影響を明確にする必要がある。
小沢タタキは、政治資金の額の多さや悪質性を挙げている。そこには、「隣の藏に腹を立てる」ムラ社会固有の感覚が潜在してはいないだろうか。だが悪質か否かは、日本の政治という大局から判断する必要がある。国民の多くは、プロ野球選手が、億単位の報酬を得ても嫉(そね)んだりしない。
またマスコミは、小沢の「プツン」や口べた、記者会見の「涙」にまで批判を加えた。だが寡黙は、日本男子を象徴し、「涙」は国民の小沢支持に感動した政治家が流したものである。そして平野貞夫は、小沢一郎が、吉田茂の「政治的遺伝子」を継承していると語った。
検察と政府与党・マスコミが、針小棒大に取り上げる司法事件と、日本のチェンジは、どちらが国民にとって重要だろうか。検察の偶発的な立件としても、それを容認した政府・与党、マスコミの姿は、戦争末期の大本営本営発表と新聞・ラジオを連想させる。。リンカーン・ケネヂィもテロに倒れ、オバマ夫人はテロの危険を覚悟の上、大統領選出馬に同意したと聞く。
世界恐慌が起きた昭和4年には、治安維持法の改正・共産党の弾圧・浜口内閣の金解禁があり、翌年には浜口雄幸が狙撃された。翌々年には満州事変、次の年に血盟団事件・5.15事件が起きている。 戦争末期官憲は、大戦の終結に動いた吉田茂を逮捕拘留した。経済危機と政治テロは、深く関わっているのだ。
また明治維新は、テロの歴史でもあった。安政の大獄は、幕府の自壊を促進し、日本は幕藩体制の地方自治を捨て、中央集権の明治政府に屈折する。この中央集権は、3割自治の戦後に継承され、小沢の地方主権は、道州制の「地方分権」と異なり、日本の民主主義に道を開くことが期待できる。
他方で、政治と法律が関わる行政・立法・司法は、三権分立に加え三位一体で結ばれ、立法が議会制民主主義の最上位にある。検事総長・法相は、検察の「政治テロ」を防止する職務責任から、指揮権を発動し先送りすべきであった。仮に、立件の対象が、麻生総理や他の党首であっても同じである。
世論調査で小沢辞任を求める答えが多いのは、国民が、世紀的な危機と戦前からの集権支配の下で、政治的に未熟だからである。検察・政府・与党・マスコミ総掛かりの小沢タタキは、広く世界・歴史・国民の視点から、政権交代・日本の未来という、政治的な大局から見なければならない。
アメリカは、国の再生と責任の時代を呼びかけたオバマを選んだ。日本の未来を選択するのは、定額給付金を評価しない、賢明な国民一人一人である。寄り合い所帯で頼りない民主党も、この問題を乗り越える中で成長して欲しい。怯まず小沢を守り、政治的な攻めが必要だ。そして国民に訴える打開策として、次の政策を検討してはいかが。
1.検事総長を国会に喚問し、日本の政治・経済・社会危機と献金事件の政治 的影響、議会制民主主義と三権分立を糺す。
2.企業団体献金の全面禁止を提案する。
3.バラマキの景気対策を止め、国民の創意を集めて、環境・生活文化と最低 賃金・生活保護を軸とした危機打開策の提示。
4.「和の国・日本」・「ピース・ジャパン」の国家像を掲げる。
これまでも日本の国家像が問われ、「美しい国」・「普通の国」が言われてきた。また『国家の品格』が、ベストセラーとなった。そして侍ジャパンが、WBCで優勝を遂げた。だが武士道は、21世紀の日本を牽引できるだろうか。富国強兵は敗戦につながり、貿易立国・経済大国も、グローバル経済の危機で閉塞感に覆われている。
日本や日本人のアイデンティティーについては、多くの論説がある。西郷隆盛は、敬天愛人を唱えた。また寺田寅彦は、もののあわれの自然観、山上憶良の家族愛、正岡子規「鶏頭の句」のリアリズムを挙げた。そして加藤周一は、日本を雑種文化と特徴付けている。
早坂暁は、夏目漱石が西欧文明への対応を、『三四郎』・『それから』・『門』に書いたが、その答えは示されず新渡戸稲造の『武士道』ではないとする。そして日本人のアイデンティティー(拠り所)は、聖徳太子の「和の精神」だと語った(NHKラジオ「心の時代」09.4.8.)。
日本のチェンジには、国民の拠り所となる国家像が必要である。しかし朝鮮民族の恨(ハン)、中国の仁や中華のような集約されたものが望ましい。そこで聖徳太子に立ち返り、「和の国・日本」を提起したい。その意図は自然と人間を「活かし」・「つなぎ」、国と国を「和」で結ぶ、ピース・ジャパンである。
「和の国」・日本は、国民の創意を集め、環境と生活文化を再構築し、これを最低賃金と生活保護が下支えする。また流域圏を単位に、個人と家族・企業と地域社会・農山漁村と都市・自治体と政府は、補完原理でつながる。
そして国と国は、内需優先・補完互恵を軸に「和」で結ばれる。その「和」は、ガンジーの非暴力・不服従運動に通じている。彼が先頭に立つ「塩の行進」は、インドの独立につながった。